花園の墓守由為編第十一章第一話『由為の選択、希望を託すこと』

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 此岸の船着き場では水上がすでに待っていた。
 真昼の明るい空の下、以前みたいに仕事をしているはずの人たちは誰一人いない。食事に出たのかそれとも人払いをさせられたのかは気になるが、尋ねられる雰囲気ではないからおそらく後者だろう。河を渡らせてくれた船頭も頭を下げてすぐに去っていく。あえて由為の顔を見ないようにしていた。
 両手を重ねて待っていた水上は由為の手の中にある鞘を一瞥する。向けられた視線には鋭さも申し訳なさもなく、此岸を守るための者として固められた覚悟だけがあった。少数の犠牲で多数が救えるのならばその手を選ぶ。誰かの非難を確実に受けるとしてもそれが最善と割り切っていた。
 最小の犠牲になるのは自分なのだろうと由為は分かってしまう。文句はない。同じ覚悟を決めるだけだ。
 舟着き場から下りていき、視線を合わせてから水上は尋ねる。
「由為さん。変革は覚えましたか」
「はい。結果がこちらです」
 剣の鞘を差し出す。水上は触れずに眺めて、切なくなるような微笑をこぼした。
「貴海さんから経緯は聞いています。まさか、新たな剣ではなく、鞘を選ぶなんて思いもしませんでした」
「七日のおかげです。俺に剣は似合わないと、世界を救うためだとしても剣をとれないのが俺だということを気付かせてくれました」
「七日が」
 由為は驚く水上を前に、幾重にも花弁が重なったような形の鞘をつかむ。剣の柄を握って震えるよりも、身を収めるための鞘に触れているほうが確かに心は落ち着いた。
「刺された剣は抜かねばならぬ。抜かれた剣は収めねばなりません。俺は、その道を選びます」
「……わかりました。案内しましょう、新字の源へ」
 水上の瞬きを見た瞬間に足をつけた大地が、ふと柔らかな気がして首をかしげた。彼岸の石畳ほどではないが此岸の大地も硬いはずだ。疑問が明確になる前に歩き出した水上の後を慌ててついていく。進む道中の景色はやっぱり見慣れた此岸のままだ。平屋の家が並び、中心に管理塔があり、植えられた道ばたの花は風を受けてそよいでいる。いつもと変わらないのに。
気付いてしまった。此岸ならば普段は行き交うはずの人がいない。姿を見かける以前にどこからも人の気配がしない。人、という存在が塵すら残さずに消えてしまっている。
 誰もいないのは消されたなどではなく、すでにいなくなってしまったから。
 この此岸はすでに滅んだまま放置されているだけだ。
「由為さんはもう気づいたかしら」
 かけられた声に揺れはなく、由為の確信をすでに理解しているようだった。
「はい。俺はいま、滅びた此岸に連れて行かれたんですね」
「分かっているのに足を止めないのね」
「はい」
 推測だが、本来の此岸の反対にあるのは彼岸ではなくて滅びた此岸なのだろう。水上がどうやって由為を滅びた此岸に連れてきたのかは不明だが、おそらく変革が作用したとは推測できた。彼岸で時を過ごした由為もできるのだから、彼岸にいたことのある水上だって、変革を使える可能性は十分にある。
変革を使い、由為が新字の流れを止めなくてはならない此岸はこちらだからと連れてきた。水上が無意味に説明もしないで、おかしなところに由為を案内するとは考えられない。罠に嵌めるためかもしれないが、そんなことをしても、利益はない。自分の存在を抹消したいのならばまた別だが。
 歩く。前を向いてためらわずに一歩を踏み出す。由為はそれを繰り返した。鏡写しのように此岸とそっくりな滅びた此岸を眺めると人がいないだけであとは変わらない。
「この滅びた此岸は未来の姿なんですか」
「未来でもあるし、過去でもあるし、いまでもあるの。こちらはまだ私たちの此岸と重なりあっていないだけ。糸が二本あるとするでしょう? 絡まってしまったら互いの影響から逃れられないけれど、まだ、剣は糸が絡むことを許していない」
「だから滅んでいない此岸があるんですね」
 水上は頷く。
 管理塔を過ぎていき、東の北端まで歩いていくが、滅びた此岸は人がいないだけで他は何も変わらないように映る。
 滅びとは世界という器を静寂が満たす。それだけのことで、悲しいことでも苦しいことでもない。明確に証明されているようだが、誰もいないのは由為がさみしいから嫌だ。自分も滅びと一緒にいなくなるとしても、まだこの地ですべきことがあると信じている。
 舗装された道が少しずつ狭まってきたので慎重に進んでいく。風が下から上へと舞い上がるようになりながら、薄い黄色と緑の字が交じり合って、光る壁を作っているのが見えた。
 ここが新字の源だ。
 入り口で見上げる由為に水上は声をかける。促すように、止めるようにどちらともとれる温度だった。
「行くのなら行きなさい。止めるのならいましかないわ」
「いきます」
 由為は踏み出す。水上は後を追わなかった。そのことにたじろぐことなく由為は新字の源へ少しずつ沈んでいった。
 新字の源は水のかたまりのようだ。薄く混ざり合う白と黄色と緑をまたたかせながら流れ落ちていく目の前の文字に、触れてみる。指は簡単に通り抜けてしまう。感触はない。触れた、という実感すらわかなかった。目で見ても落ちていき上がっていく字は重なってなどいなくて、新字の源に手を伸ばすと自分の腕がなくなった気分になるのが一番近いたとえになるだろう。
 由為は透明な壁に守られながら、一人分しか進めないほど細い道の奥へと進む。直線から緩やかに下りていく道にさしかかった。目をこらしてもはっきりと見えない場所に、辿り着かなくてはならない場所があるのだと分かって、歩く。
 気づけば耳に届く音はなくなっていた。自分の足音すら聞こえずに、風は強く吹いているというのにかすめていく音もない。目に映る情報だけが頼りだ。
 進み、進み、進んでいって、由為は立ち止まった。
 赤い花弁が幾重にも重なり合って螺旋を描き、一つの大きな花となっている。彼岸に咲く花とも、此岸で扱われる花とも異なる。おそらく全体は由為よりも大きな花だ。
 その花の中心に紫の剣が突き刺さっていた。
「ヴィオレッタの剣」
 知らず、言葉が漏れる。
 かつて彼岸の青年が刺した剣。刺されたのならば抜かねばならぬ剣。抜いたのならば収めねばならぬ、剣。
 鞘を脇に置いて由為は剣の持ち手を両手でつかんだ。引き抜こうとすると、思ったよりあっさりと抜けていく気配がする。
「本当にそれでいいの」
 背筋が氷になった。
 耳で捉えたのではなく、体に字を沈められて認知したような感覚に襲われて、思わず剣から手が離れた。顔を上げる。
花の上には座っている少女がいた。いままでいなかったことが嘘のように当たり前として存在している。少女は短い白い髪と青い目をしていて、年頃は十三歳くらいだろう。赤い服を着ながら両膝を抱えて由為を見下ろしていた。

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