花園の墓守由為編第七章第二話『七日は変わる』

7-2

 とにもかくにも変革を覚えないと話は進まないようだ。
 そうではないと憧れている書館にも入れず、新字の源に行くこともできない。二つに分かれた道はあってもいまは両方とも封鎖されたままだ。どこにも行けない。
 だから家に帰ってみる。 
 由為が彼岸に渡ってまだ一ヶ月も経っていない。短くはないが長くもないあいだに、惚気やら滅亡やら、騒々しい話に巻き込まれすぎだ。今日くらいは落ち着いて狭い風呂に入りたい。
「あ、七日さん」
 思考の途中で、先に此岸探索に出て行った少女を思い出した。どこかで合流しないとまずい。家に鞄を置いたら出かけよう。
 由為は此岸の南側にある自分の家の扉を横に引く。
「ただ」
「いやあ七日ちゃんはいける口だね!」
「飲み過ぎるなよ。赤茶は刺激が強い」
「気をつけてますから……由為君の声が」
「え」
 どたばたと聞こえる足音が収まるよりも先に、由為は慣れ親しんだ家の居間まで早足で歩いて行く。
 室内には七日、直、是人、由為の母である圭と、父である由架がぐるりと椅子に座って、本来なら四人用のテーブルをかこんでいた。上には軽食といくつもの飲み物が並んでいる。
「あなたら何してるんだよ!」
「それが久しぶりの友人に言うことか」
「つれなーい」
 傷ついたような是人と、全く無傷の直の反応にたじろいでしまう。
 二人は彼岸に行くのを止めながらも、自分のことを応援してくれていた友人たちだ。喧嘩はしたくない。
 穏やかな母と陽気な父に目を向ければ、片方にはかすかな笑みを浮かべられ、父からは手を振られた。
 最後に七日を見れば優雅に赤い花茶を口にしていた。馴染み方が不思議な少女だといま思い知る。領分に踏み入ってくる初めての客には警戒するくせに、自分は全く知らない場所でも調子を崩さずに過ごしてしまう。これまでも実は気を遣う必要はなかったのかもしれないが、それでも礼儀は失わないでおこう。
「七日さん。適切な説明をお願い」
「直さんたちが親切に声をかけてくれて、由為君のお母さんが働いている食堂で遅いお昼ごはんを食べたの。私たちが帰る時と由為くんのお母さんのお仕事が終わるタイミングが一緒だったから、お招きにあずかりました」
 わかりやすかった。
「父さんは何してんだよ。仕事はもういいの?」
「由為の同僚さんが来るってのにご挨拶の一つもなしはまずいだろ」
「仕事をしよう」
 きっぱりと言いきれば七日の口元が笑うので少し乱暴に言葉を返してしまう。
「いや、由為君もお父さんの前では口が砕けるんだなって」
「なになに。彼岸ではそんなにすましてるの?」
「もう元気いっぱいの暗いところなんてない、明るい少年です。みたいな感じですよ」
「あの七日さん」
「へーあの由為がねえ。こっちでの話もするから、彼岸のこれまで教えてよ」
「あの直」
「いいですよ。由為さんはまず彼岸にいる私たちの上司であるたかうみさ」
「人をおもちゃにするなー!」
 思いきり怒鳴りかければ、全員は耳を押さえながらも顔は笑っている。圭ですら、恥ずかしさと嬉しさが混ざっている微笑を浮かべていた。彼岸に渡る前に一番心配をかけて、不安な思いをさせてしまった人の安堵した様子が見られるのは由為としても安心できた。
 母と是人はいいのだが、問題なのは父と直だ。すでに自分を肴に面白がっている。七日さんもわりと楽しんでいる。いまだにお茶に口をつけながら不敵な笑みを刻んでいた。
 自分がからかわれる対象になるのも不満で、これ以上、突っ込んでいるばかりなのも不服だから由為は七日の隣の空いている椅子に腰を下ろした。誰も触れていない青い茶を一気に飲む。
「由為ったらいい飲みっぷりだねえ」
「喉渇いてたから。俺について聞きたいことがあるなら、俺が答えるから変に七日さんや、七日さんも他の人に絡まないでくれよ。特に父さんと直」
「信用されてないな」
 よよよ、と泣く風を装う由架に由為は冷たい目を向ける。
 いつだってこの人は面白がって調子に乗って舞台から落ちるから目も離せない。
「由架さん、でしたよね。お父さんのお名前」
「そだよ」
「雰囲気が私の知っている、彼岸にいた人に似ています。貴弓さんというんですけど」
「へえ。そうなんだ」
 由架が茶化した反応をせず、しみじみとしているのが意外だった。普段なら「俺と同じ男前なんだろうな」くらいは言う人だ。
「此岸に戻ってしまった人で。私が知っている数少ない此岸の大人なんですけど。今日も歩きながら、此岸の人はみんな楽しそうだと感じました。それこそ大人も子どもも関係なく。痛みに苦しんでいると聞いていたのに」
「それは、彼岸の方たちが守ってくださってるからですよ」
 圭が短く言う。立ち上がる。空になってきた容器を集めて、流しに向かったようだ。手伝いにも行きたいが残った面子から目を離せない。
「彼岸が、此岸を守る?」
 是人のつぶやきに反応したのは由架だった。
「いまの彼岸は此岸に痛みを抑える花を提供していただいているだけみたいだけれど、過去はそうじゃなかったらしいんだ。此岸の人たちを襲う様々な不幸を彼岸の人たちが駆逐してくれた。それのお礼もあって、此岸の人たちは彼岸の地を半分。彼岸の人たちに託したんだ。これからも守ってくださいとね」
「そんなに恩があるのに、どうして彼岸と此岸は仲良くないんですか?」
「最近は話題にならないけど。十一年前にね、此岸から来た人が彼岸にいた人を悲しませたらしいんだ」
「悲しませた?」
 直感が走る。
 違う。そうじゃない。そんな言葉で片付けていいことが起きたのではない。
 もっと直接的な、悲劇的な、彼岸にとっては裏切りにも値する出来事が、此岸の来訪者によって行われた。
 由為は感じ取っていた。七日も同様だった。彼岸に漂う悲哀の雰囲気は由架が口にしたことに端を発している。
 分かっているのにその具体的な内容に踏み込めない。どうしてだ、ともどかしい。
「悲しませたってどんなことをしたの」
 せめてもの質問を由為がぶつけると由架も額を押さえて考える。ようやく、近い言葉を見つけたのか、口を開いた。
「貴海という人が墓守になった。それだけだ」
「……誰の」
「わからない」
「誰の!」
「由為」
 是人が押し止める。いままで眺めているだけだった直が笑って言った。
「彼岸の話を聞かせてくれない?」
 いつの間にか浮いていた腰を椅子に押しつける。
 由為は一度、息を吸ってから七日と一緒に彼岸の話を始めた。
 貴海の名前をはっきりとは出せない。衛ときさらと、優しいのにどこか難しい先輩の三人の話と、花について語っていった。
 美しく儚い世界について話していった。

 日が完全に暮れる前に是人と直はそれぞれの家へ帰宅した。
 七日は由為の家に泊まることになり、圭と由架、七日と由為の二部屋に分かれて眠る支度を進めていく。その途中で由為は由架に呼ばれた。家の外に出る。
 由架は服についている袋に手を差し込みながら口を開く。
「思っていたより彼岸でも楽しくやれているんだな」
 霞のない黒の空に小さく開けられた孔から光が零れて、暗闇を照らす。由架はそれを見上げながら言った。
 先ほどの騒ぎを思い返しながら由為は聞き返す。
「そう聞こえた?」
「そう聞こえた」
 普段ならば頭に手を置いてきそうな人なのに、由架は首を傾けて笑みを返すだけだった。
 それで、父はもう自分を子どもあつかいする気が無いのだと理解する。由為のことを一人の少年として見るだけにし、必要以上に甘やかしたりしない。立てる場所は近づいても、物理的にはいまだ高いところにある顔を正面から見つめられなくて顔をそむける。
 そむけてから、子どもじみた反応しかとれないのは自分だけな気になってきた。
「どうして俺が彼岸の管理者に選ばれたのかな」
「楽しくやれているんだから、選ばれた理由なんてもう分かってんだろ」
「でもさ。俺以外が彼岸に行ってもうまくいってたんじゃないかな」
「そりゃない」
 妙にきっぱり由架が断言するので由為は顔を上げた。
「一人が引き出す結果はいつだって一つだけだ。お前がうまくやれているなら、それで十分なんだよ。忘れるな。違う空を見に行きたいと行ったのは、由為だろう」
 空の孔は広がっていき黒い布は徐々に光の波に塗りつぶされていく。建物の明かりは一つずつ消えていった。地上の明かりは失われて天上の光が此岸を守る。
 その下で生きている。
 すでに、滅びを経験した世界の中でまだ生きている。
 由為も、七日も、衛も、きさらも、貴海も、由架も、圭も、直も、是人も、水上も、それ以上の多くの人たちがまだ此岸と彼岸という二つの場所で生きている。
 大切な人たちが生きている場所がすでに滅んでいるなんて認めたくない。瞬きした後に世界が消滅していたら、その現実を変えてやる。
 何をしてでも。
 その考えに至ったとき、由為の中で一本の糸が繋がった。本当ならつながってはならないのかもしれないが、いままで見えなかったものが不意にまたたく。
「これなんだ」
「どした?」
 父の疑問の声は届かない。由為は自分の両手を見る。
 いま、確かに由為は変革の一端に触れた。自分の願いを知り、叶えるために現実を変えていく。変えた現実を多数の認識へと革命させる。由為が気付いた変革とはそういうことだ。
 開いたままの手を拳に変える。早く彼岸に戻りたい。貴海先輩に、できそうだと伝えたい。
世界を変えるための力は自分の認識の中にあると知ったから。
「ゆいくーん。ゆかさーん。お布団用意できましたよ」
「お、七日ちゃんありがとさん。由為、俺は先に行くから」
 父は家に戻っていく。代わりに七日が家から出てきて由為の隣に立った。長いあいだ見つめてこられたあとに、言われる。
「すっきりした顔してる」
「うん。変革について分かったから」
「そうなんだ」
七日は空を見上げる。彼岸よりも明るくて、光が落ちてくる景色を灰色の目に映しながら話し始める。
「私もね、気づいたよ。此岸に私を嫌う人なんてまだいなくて、ただ知ってもらえなかっただけなんだって。私が生きているということを。私という存在を知ってもらえたら、是人さんや直さんみたいに優しくしてくれる人はいた」
「うん。だから、七日さんにもこっちに来てもらいたかった」
「なのか、でいいよ」
 急に言われて由為の言葉がつまる。
 七日は屈託のない笑顔で更に言葉を続けていくだけだ。
「さん、でもちゃん、でもない。私は七日。此岸に七日しかいられなかった、それでもいまは彼岸で生きている七日。だよ」
「わかった。……七日」
「由為君」
 自分のことも呼び捨てで良いとは由為は言えなかった。七日が口にしてくれる響きが好きだったためだ。「由為君」の、四つの文字だけで不思議と元気が出る。初めて七日が呼んでくれてから、ずっと。
 胸から湧きあがってくる仄甘い感情は、貴海先輩がファレン先輩に抱く感情と同じものかと考えたが、まだはっきりしない。二人が互いに抱いている想いや関係は自分たち以上に複雑そうだ。
 ただ由為は七日の笑顔を見ていたいし七日の名前を何度だって呼びたい。恋なのか親愛なのかはっきりしなくとも、これからも七日の隣に立って笑っていられるのは自分だと嬉しい。
 七日が好きだ。

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