花園の墓守 貴海編—由為—

 七日と一緒に新字の源をかきわけた。進むたびにヴィオレッタの剣は壊れて、最後には砕け散った。すると終わりと思っていた先の道が開けた。深奥のさらに深いふかいところにいたのは、物語。一字たりとも残さずに此岸へ全てを捧げた物語だった。
 説明されなくとも由為は直感で察する。
 人の顔と体をとっている物語だが、足も腕もほとんど見えずに字の流れに取り込まれていた。動くことは叶わない。それでも此岸が存在しているあいだ、字をその身から切り分けし続けたというのならば、口にできることは一つだ。
「ありがとうございます……」
「謝より先に礼が出るとはな。面白い仔だ」
 返される言葉は此岸の人たちが使う言葉と変わりないもので、顔を上げた。物語に教えてもらいたいことは限りなくあるが、全てを知る猶予がないのは分かっていた。緑の字が渦巻き上に吸い込まれて下に飲み込まれているなか、言う。
「俺は由為といいます。世界の滅びを止めたくて、その方法を見つけにきました」
 物語の瞳孔が動く。人のものより細かった。
「言葉の意味は通じている。だから言おう。私には世界を救う方法はない」
「ない、のですね」
「ああ。私にはない」
 終わりを強調して言われたことに戸惑いを覚える。
 ないのならばまた、考えなくてはならない。世界を救う方法がないと断言されても諦めたくない。気にかかるのは物語が「私には」と力を込めて口にしたことだ。新字の源である物語にはない。ならば、何が世界を救う方法を持っている。
 その人は、貴海先輩なのだろうか。
「……由為くん。あのね」
 不意にかけられた七日の声は震えていた。それでも頼ることなく一人で真っ直ぐ立っている。浅い呼吸を落ち着かせるために、あえて深い呼吸を繰り返してから、続きを始めた。
「私たちは、知ってる。世界を救える物語をずっと前から知っていたんだよ」
 その言葉が鍵になる。
 此岸では無意味で彼岸では無力で、だというのにいつだって笑っていた、強い物語。風に揺らされる咲良色の髪。白い肌。金と緑の瞳に、微笑む薄い唇。女性らしいしなやかな肢体とそれを包む淡い服。
 振り向いた、目が合った。かちかちと様々な色が変化して一つの物語を形作る。
 由為もまた、思い出した。
「ファレン先輩……!」
「そうだ。私たちの物語による字を受け継いでいる、彼岸最後の物語。彼女の中には世界を救う方法がある」
 得られた情報は欠片も嬉しさをもたらさなかった。これまで物語から字を与えられて、此岸は成り立っていた。そしていまの物語の有様を見れば、どうやって切り分けてきたのかなど容易に想像がつく。
 ファレン先輩に同じことをしろというのか。
 これまで自分たちがしてきたことを目の前に差し出されているというのに、犠牲となる相手が顔も名前も知っているものとなると、心が揺れる。ファレン先輩を犠牲にして世界を救うことなど、したくない。受け入れてくれた初めて会った日。励ましてくれた熱に浮かされた夜。見守ってくれた毎日。
 その物語を、俺は世界を救うために解くことができるのか。
 貴海先輩もいる。いまなら分かる。あの人が他の誰よりも、何よりもファレン先輩を大切にしていたのかは痛いくらいに理解させられた。忘れられていた物語。貴海先輩だけはずっと傍にいた物語。二人が寄り添う姿を見るのは俺も大好きだ。
 それなのに世界を救うならば、二人を乗り越えなくてはならない。
 隣にいる七日を見る。初めてだった。涙をこらえている姿を見るのは。
 七日がどんなときも泣かないようにしていたと気付くのは、いまが初めてだった。
 由為は手を強く握る。歯を食いしばる。涙がこぼれそうになる顔を必死に上げる。
 俺が苦しんでいる場合じゃない。本当に辛いのは七日で、危険なのはファレン先輩で、待ち受けている相手は貴海先輩なんだ。
 世界を救うかどうかなんてもう決めている。今更、ねじ曲げるわけにはいかなかった。
「七日、行こう」
「ファレンお姉ちゃんをどうするの……?」
 重責ある一言は口にする前に腹の奥に落ちてしまいそうだったが、必死になって、由為は言った。
 物語は僅かながら微笑み、七日は由為の拳に手を添えてくれた。
 行こう。
 変革を起こしに。

 些細な破片だが反射的に瞬きをしたため、貴海とファレンは此岸から撥ねつけられた。かといって彼岸にも戻れない。いま影生や弦が必死で変革を行っているのを妨げてはならない。貴海は己の座標を滅びた此岸に合わせる。滅びた彼岸にいなかった貴海をいることにする。ようやく地に足が着く感覚を取り戻せた。
 同様に追いかけてきた由為を見やる。流れ込んだ記憶で知った、目の前で泣きかけている理由。だというのに、涙はこぼさない少年。鞘を手にしたまま貴海を睨んでいる。そうしていないと強がりが剥がれてしまうから、敵対者としての覚悟を決めていた。
「世界の救い方は見つけられたか」
 貴海は静かに問うた。
「はい。ファレンさんを捧げて、また……花を咲かせて字を生み直します」
 自分がすることの苦痛を知っているから、由為は目の端を赤くしている。
 貴海はファレンを見た。どうしてだろう。命を狙われているいまであってさえ彼女は穏やかだ。このまま四肢を損壊させられて頭を砕かれて、潰されて挽かれて、此岸や彼岸に散らされてながら跡形なくなっても、受け入れる。意思を感じる。
 だが貴海はその選択を排除する。
「由為。君がファレンを代償にして此岸を救うというのなら。俺はファレンを守るために全てを滅ぼすよ」
「俺は、世界を救います。此岸だけじゃなくて彼岸だって見捨てたりしない」
「だけどそこにファレンはいない」
 由為がしようとしていることの結果がファレンの喪失だ。つまりは。
「ファレンによって救うことができても、彼女がいなかったら俺は瞬時にあらゆるものを滅ぼすことにな」
「まずはあなたを止めろということで」
「逃げるな」
 止めるのではない。
「俺を、殺すんだ」
 由為の全身がこわばる。初めて聞いた言葉の凶悪さに怯えるが、抑えていた。
「……ころすって、なんですか」
「由為が俺の核となる字を壊すことだよ。二度と話さない。動かない存在に俺を変えるんだ」
 たったそれだけのこと。簡単だろう。
 あくどい微笑みを精一杯の優しさに変えて、笑いかける。
 殺すなんて単語は花園の墓守 貴海編第五章『最後の昼』此岸にはなかった。だけどいま教えた。全てを犠牲に出来る上等な字を引き継ぎながら生まれて、いままでもこれからも、誰の体にも傷一つ与えなかった少年。だけれど七日に後悔を残して衛に苦悩をぶつけて、きさらに悲痛を刻んだ由為。無私の人と同様に、目に見えるものは失わずに済むけれど、読めない傷は残していく。
 そうであっても貴海は由為に怒りも悲しみも憎しみも抱いていない。あるのは眩しさだけだ。
 ここから始まる。
 貴海が由為を行動不能にさせるか、由為が貴海を殺すか。
 一歩、踏み出す。由為は身構える。震えを押し殺して戦意を保とうとする少年を見る貴海の目は、盛りの花を愛でるようだった。
 貴海が動くとファレンも足を進める。徐々に近づいてくるのに気圧されてか、由為も一歩だけ踏み出した。それ以上は進まない。貴海は距離を縮める。
 ファレンは放された手を胸に当てながら、二人を見守っていた。
 たん、と貴海の足が地を離れる。距離は即座に縮められて振り上げた手は由為の頬を叩くはずだったが、鞘でふせがれた。貴海は添えられたように鞘をつかむ。由為が持つ唯一の得物。だけれど手にしている少年は誰にも暴力は振るえない。無私の人も混雑した字である花影を殺すことはできても、此岸の人は傷つけられなかった。
 つかんだ鞘に字を注ぎ込んでいく。この鞘は由為が所有者だが、作ったのは貴海だ。どこにどういった字を詰めていけば、耐えきれなくなるかわかる。
 ぴし、ぴしと罅が入っていく。三年間、ヴィオレッタの剣を収めていた鞘はなるほど確かに頑丈だが、カップ一つでたたえられる水の量は決まっている。注ぎすぎれば溢れて、こぼれていった。
 悟った由為は鞘から手を放す。貴海は一気に破壊した。鞘に集まっていた字が解放されると、滅びた此岸に散っていく。字は消えていった。
 由為がファレンに向かって走っていくのを見ながら、腕をつかみ、胸に手を当てる。由為の核である字に働きかけた。どくん、と由為の体が震えて倒れる。瞼が下りたのを見てから貴海は、由為を支える。
「ファレン」
 左手で、ファレンの手をつかむ。
 滅びた彼岸へ意識を向けた。




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