花園の墓守 貴海編第五章『最後の昼』

 貴海は影生とファレンを連れて管理塔前の広場にある、一段高い真四角の台に立っていた。腕を組み、広場に集まった三人の統括管理者と七人の人を見下ろす。中には昨日治療を施した人もいた。活力を取り戻したなら幸いだ。
 三人の統括管理者、火右と風下と地左はそれぞれ緊張と余裕と厳格といった表情を浮かべているが、これからの展開を全員が楽しみにしているのは間違いない。
 直が戻ってくる。いないのは、衛ときさらと是人と弦と水上、そして新字の源に向かっている七日と由為だと聞いた。
 貴海は背筋を正す。衛が訪れるまでの時間かせぎの始まりだ。
「此岸の皆様。私は彼岸の統括管理者、貴海と申します。今回はお集まりくださり心から感謝しております。さて、現在の此岸の状況はあまりよろしくないとお聞きしましたが、皆様は」
 胸に手を当てていつものあくどい笑みを浮かべる。
「生きたいですか、滅びたいですか」
「生きたいです」
 問いに答えたのは直だ。打ち合わせてはいないが良好な反応をもらえたことにさらなる笑みを浮かべる。
「私は此岸の方々が生きられるか、そうでなくなるかには興味がありません。関心を抱いている事柄は一つ。あなたたちは誰一人滅びたいとは思っていませんね? 全員一致して、生きたいと願っているのですね?」
「はい」
 直の答えも、意思も明確だ。
 しかし続く声はなかった。七日と由為がいないいま、この場にいる年若い者は直だけだ。二十年以上生きている人たちは生への渇望を見せずに事態を見守っている。すでに字を交わし、残した人は自身の生への執着が薄くなると、以前に貴弓から聞いていたが事実のようだ。 さて、困った。
 貴海の感情と同様に直も困惑を見せていた。続く言葉がなかったことに驚き、振り向いて問いかける。
「みんなはいいんですか。……由為が此岸を救いにいったと知っているのに、水上さんがいまも奔走しているのを分かっているのに、どうして、黙っているんですか。目の前にいるこの人が、世界を滅ぼすかもしれないのに。なんで、自分がどうしたいかすら口にしないんで
すか?」
「だって少し待てば、事態は動き出すもの」
 くすくすと、風下が不意に笑い出した。
「此岸が危地に陥ったら、彼岸は常に助けてくれる。そうなるように水上が手配したカードも動き出しているからな。いまここで、彼岸の統括管理者と生きたいだの、滅ぶなどの白々しいやりとりをしても滑稽なだけさ」
「無意味」
 火右と地左が続いて言う。敵意よりも余裕がにじみ出ているのはなかなかに気分が悪い。かといってこちらもいつでも滅ぼせると脅かすのは低度なことなのでやり返したくなかった。ファレンの前でなくとも。
 代わりに思考を巡らせる。此岸の統括管理者の、此岸が終わらないという自信はどこから来ているのか。衛に与えた策はすでに知れ渡っている前提で動くのがよさそうだ。そうなると、貴海が彼岸を譲り渡そうとしているのは確定したことだと思われているのならば、よくない。
 俺は生きる意思を確固として持っている者ならば書館を経由して彼岸に送れるが、生きられるから生きるくらいの者を連れていく余裕はない。
 衛、早く来てくれないかな。
「ファレン。影生に、場を煽ってくれるように伝えてもらえるか」
 隣にいるファレンに小さな声で頼むと、力強く頷かれる。ファレンは二歩下がって様子を退屈そうに見ている影生に近づき、耳元で囁きかけている。いいなあれ。うらやましい。
 貴海の羨望など知らずに影生は前に出た。道ばたで通り過ぎる直前の気安さで話しかける。「此岸の皆さーん。こんにちは。あんたらが怯えて仕方ない花影の生き残りですよっと」
「あら。全て彼岸の花園に還ったと思っていたのだけれど、まだいたの」
「頼まれた約を果たすためだけにな。断じて此岸のためじゃないから思い上がるなよ? 安寧に揺蕩う者たち」
 視線が交わされる。色のない影生のものと、様子をうかがう青い此岸の人たちのもの、相手だけを見ている。
 貴海は周囲の状況をよく見る。足音が五つ、近づいている気配は見取れた。一つは衛のものだからあと少しばかり時間を稼げたら良い。
「いつも気分を悪くさせられるんだけどよ。あんたらは、どうして生きることを選んだのにその先は歩まない。さっきのちみっこだって言ってただろ。由為たちが懸命に生きているのに反して何もしない。いつだってテーブルについているだけで花が出てくるのを待っている。俺たち花影はその様が腹立たしくて仕方ないんだよ」
 影生の静かだが苛烈な言葉に反論は返ってこなかった。長いため息を吐いて、地左が一言だけで切り捨てる。
「無知」
「あ?」
「生きなくては成長しなくてはならないの。必ずしも現状を改良していかなくてはならないの? 常に滅びの危険を抱えながら挑戦する彼岸のあり方を私たちに押しつけないで。私たちは、生きるために生きている」
「それを間違いという気はないんだがな」
 貴海は再び前に出た。
「間違いも正しいもないんです。此岸も彼岸もあり方が違う。だから異なる生を選んだのを、否定しあいたくない」
「と、衛は言ってくれるわけだが」
 ようやく、衛、きさら、是人、直、弦、水上が来てくれた。全員が覚悟を決めた表情をしている。
 そろそろ下を見るのに飽きたので貴海は台から飛び降りる。ファレンは後ろの階段から影生に守られて下りてくると、定位置である貴海の隣に並ぶ。動きを分かっているのは自分と影生しかいない。
「これで、七日と由為以外の此岸の者たちは揃ったわけだが、あなた方はどうするんだ。俺は彼岸を譲り渡す準備はできている。だが、無償ではない。生きたいと、自分の意思で望んでいる者しか連れてはいけない。だから、問いかけさせてもらう」
 一旦、切る。
「今日で世界が終わるとしたら、あなたは何を選ぶんだ」
 場は静まった。貴海の目は此岸に属するものは一人残らず、生きたいという意思を持っているのが見えて、声が聞こえて、匂いを感じられる。なのに誰も手を挙げない。読んでいた流れと現実が違うことに、戸惑いながらも新鮮な気持ちになれた。
 これから予測できない流れに揺らされることになる。
 きっかけは、衛が前に出てきたことだ。
「貴海さん。彼岸を譲ってくれることに、言葉に出来ないほどの感謝をしている。この場にいる全員を代表して俺が言う。ありがとう。だけど、彼岸に行くのは直君、七日さん、由為くん。そしてきさらさんと広兼さん、地左さんに風下さんだけに決まった」
「衛」
「俺は滅びに従います。大切な人と共に」
 貴海はその理由を尋ねる。答えはすぐに返ってきた。
 彼岸に全員が移住できるほどの余裕はない。全員で生きようとすればすぐに彼岸の貯蓄は尽きて花園は荒れ果てる。
「此岸の人は、無私の人の過ちを繰り返したくないんです」
 彼岸の人が花影を払ってくれる代わりに此岸は犠牲を払わなくてはならなかったが、無私の人が現れてからは拒絶した。歪みはそこから始まった。
 衛が貴海の提案を水上に話してから。聞いた水上が考え、火右が同調し、密かに此岸の人たちに尋ねが回って、犠牲を選ぶ者と生を選ぶ者に分かれた。
 そう話す衛の顔に悲壮はひとかけらもなく、穏やかな笑みすら口元に浮かんでいる。黄昏初めた空の下で衛は語り終えた。
「貴海さん。俺たちは、全員が選択しました。受け入れてくださいますか」
「此岸に残る人たちは残らず滅ぶことになる。それでいいんだな」
「いいんだよ、貴海さん。俺の子どもが信じたあなただ。ただじゃ終わらないって分かっているから」
 間に入ったのは由為によく似た人で、貴海は彼が由為の父であることを読み取れた。
「貴海」
「ファレン」
「誰だって、最後まで幸福な終わりを祈っていいんだ。たとえそうならないとしても、祈りはうつくしいものだろう」
「君がいてくれて良かったよ、本当に」
 小さく届ければファレンは首を少し傾けて微笑んでくれた。
 彼女がいたから。いつだって俺は俺でいられたんだ。ありがとう。
 貴海は優しい重荷を背負い直して、言う。
「あなたたちの選択は聞いた。彼岸の統括管理者として、犠牲に相応しい働きをしよう。彼岸に渡る人は前に。残る人は、下がってくれ。影生。弦。彼らを持っていくぞ」
「りょーかい」
「はい!」
 三人は目を見開く。一度すら瞬きせずに変革を終わらせる。

 由為と七日が入りこんでくるまでは。

 変わり始めた現実を衛が支える。七日は彼岸に渡る側の人に、きさらに引っ張られた。貴海は影生と弦に後の作業を投げ渡すと、意識を由為に向けた。
 由為は泣いていた。目の端を赤くしながら、滴を散らして、砕けたヴィオレッタの剣は捨てたのか鞘だけを手にしている。
「たか、うみ、せんぱ、いーーーーーー!」
 ファレンを抱きしめる。何があっても、離れないように。放さないように、強く。
 由為の変革に飲み込まれないように立ちはだかるが、粉々になりながら変革の破片が突き刺さってきて、意識が混濁する。腕に力をこめるのだけは忘れないようにした。
 貴海の目に、一粒、爪の先よりも小さな一粒が入りこんだ。

由為

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