花園の墓守 貴海編第二章一話『望まぬ未来』

 此岸に着いた。
 出迎える人は少ない。舟着き場を下りても、姿を現した人は十人を多少越えるかといったところだ。しかし、これからすることに人数は関係ない。貴海は隣に立つファレンの手を強くつかみながら、言い出した。
「此岸の皆様。初めてお目にかかる方ばかりでしょうが、私は彼岸の管理人を務めている貴海と申します。そして隣にはあなた方には見えないだろう私の伴侶がいらっしゃるので、どうかご移動の際はぶつからないようになどお気をつけください」
 一歩後ろで由為が戸惑っているのを感じていたが、間が抜けていようとも大切なことだ。ファレンの存在を認識できないとしても、自分の隣にいることだけは言っておかなくてはならない。理解できないからと話さないより意味がある。
 ファレンはといえばやっぱり自分以外には認識されていないというのに呑気なままだ。つないだ手は放さないまま初めて訪れた此岸を眺めている。
 管理塔に行こうと歩き出す前に、走り近づいてくる人影があった。見慣れていた赤い髪と緑の瞳の女性は、きさらだ。
「貴海さん、由為さん。今回は来てくださって、ありがとう」
「どういたしまして。あの、それで。……どれくらいまで進んでいるんですか」
 潜められた声にきさらは「ついてきて」と、此岸の中心にある管理塔に向かって歩き出す。途中で道を変えて、南に行き、真四角の箱のような一階建ての広い会議場に入っていった。重い扉を開けた先には、淡い光に照らされながら寝台の上に寝かされている四人がいる。全員の顔の上に布がかけられていたが、滅びていない証明として部屋の中を渦巻く破損された字は彼ら彼女らが発しているものだ。体の許容量を越えてしまった字があふれ出てしまっている。できるだけ清純な字は残して壊れた字を吐き出しているが、追いついていない。
 貴海は一度ファレンから手を放し、コートを脱ぐと由為に手渡し、再びファレンと手をつないで右下にいる女性に近づいた。細かく字を観察する。女性を成す本来の現字は新字の勢いに押されて、食い込まれつつある、また女性の核となっている字を確かめた。
 それだけで十分だった。
 核となる字に布の上から手を当てる。食事のさいに花を切り分けるように、核となる字は保護しながら新字を現字から削いでいく。貴海の目は特別なため、衛やきさらたちのように字刷り硝子を持たずに字を認識し、構成させ直すこともできる。相手に意識があるときには絶対にしないことだが、いまは救命行為が必要だと判断した。女性の体から吐き出される字は徐々に収まり、やがて見えなくなった。
 貴海は三人の治療を順に済ましていくが、行為の最中ずっとファレンの手を放さなかった。貴海につかまれている手は励ますようにつかみ返してくれて、そのことに感謝した。
 由為のもとに戻り、コートを受け取る。今後、着ようとするたびにファレンの手を放さなくてはならなくなるので右腕に抱えることにした。
「急ぎの手当は終わった。後の処置として白い花を多めに与えておくといい」
「さすが、彼岸の管理者ですね」
 皮肉も含まれているかもしれないがきさらは賞賛の言葉を述べた。貴海が来るまでは根本的な治療ではなく、近づいてくる滅びから遠ざけることしかできなかったのだ、とも意味している。
「此岸の字解きは」
 答えを聞く前に読めた。
 新字のあとに新たなる字は生まれていない。もう生まれない。古字と現字と新字は循環する必要がないため、古字は自身の座を譲る必要なく彼岸で澄ました姿、それを羨望しながら現字と新字が此岸で競り合いをしている。ファレンを認識させる隙が此岸にもあるのは意外だ。
「彼岸の花園ではなく、此岸をあやすのも俺の担当になるのか」
 意地悪い一言を口にすれば、きさらは首を横に振る。
「いえ。此岸の人たちは私たちが守ります。貴海さんと由為さんにお願いしたいのは、此岸の消滅を止めてもらえないかということです」
「いまの緊急事態にヴィオレッタの剣が関わっているんですか」
「おそらく。私も衛さんも、新字の源には行けません。此岸に残っている誰も届かない。だから、お願いします」
 きさらが頭を下げるのを制してから、由為の反応を見た。頷かれる。
 もとから此岸に来た理由も由為がヴィオレッタの剣を気にしていたからだ。依頼と理由は相反しない。
 だが、此岸の状況を直接目に出来たため、確信を持って貴海は言う。
「新字の供給は途絶えている。いま現字を縛っている新字をやりすごせれば、此岸の人が怖れることはない」
 時間をかけて滅びるだけだ、という言葉は呑み込んだ。
 新字による上書きがなくても、今代の現字はあと少ししたら朽ちていくのが貴海の見立てだ。此岸の人は全て亡くなり、解放された現字は彼岸の花園に流れる。
「ヴィオレッタの剣の様子を見て、此岸の管理者は何をしてもらいたいんだ」
 このまま新字を抑制している限り此岸に新たな命は生まれない。そして現字が古字に変わった時点で此岸は滅ぶ。
「新字を抑制して、此岸全てを滅ぼすか。新字を解放して此岸だけは生かすか。明後日までに、結論を出してくれ」
「いまの此岸の人は生き残れないと」
 きさらの確認に口を閉ざすしかできなかった。

 仮の住まいの場所をきさらに聞いて貴海とファレンと由為は一旦、荷物を置きに行く。
 着いた家が使われていないことは空気で分かったが、掃除はしてもらえていた。貴海は奥の部屋を、由為は入り口近くの部屋を選ぶ。
 貴海はファレンと二人きりになると、備え付けられた机の上に荷物を置いて、椅子に座った。
「初めての此岸はいかがかな」
「悪くない」
 彼女を害する空気はないと返ってきた。ファレンは寝台に腰を落ち着かせながら窓の外に目をやる。
「俺よりもお前だろう。貴海。ついに此岸へ引っ張り出された。いや、違うな。俺を言い訳にすることを止めて此岸に来た。どんな心境の変化かは聞いてみたい」
「心境の変化はないよ。俺の目的は君と生き続けることだけだ。変わったのは、状況。此岸が本当に俺を必要としているのか、しているのだとしたら。なぜ、俺を必要としているのかを知らなくてはいけない」
 貴海は此岸に現れる必要がないように自分の役割を由為と衛に少しずつ渡していった。同時に不合意も承知の上で、由為には変革を、衛には現実を認める目まで貸し出すことにした。貴海に誘導された場面もあるが、二人が自分の力で読むことに目覚めてくれたのはありがたかった。気付いてもらえなかったら、貴海一人で捌かなくてはならなかった流れがいくつもある。
 由為と七日、衛ときさらに義務と権利の譲渡を終えたと一息ついた頃に、此岸はまた由為と衛を通じて貴海に呼び掛けてきた。強引に一言、「来い」とだけ。呼びつけておきながら用事の内容は教えないというのなら無視することも選択肢にはあった。
「君こそどうした。由為に乗って、此岸に行こうと口にした理由が謎だ」
「お前と同じだよ。状況が変化したというのならば、俺が此岸に来ても問題ないのでは、と。確かに問題はないが一気に読まれなくなるな!」
 それもまた痛快だ、と笑う。貴海は椅子から離れてファレンの隣に腰を下ろした。何も言わずにファレンは寄り添ってくる。いる。ここにファレンはいてくれる。
 それだけでよかった。貴海の手がファレンの頬を包む。花が陽に触れたときのようなぬくもりを感じられる。自分しか感じられなくてもかまわない、だがそれは同時にファレンが貴海にしか認められないことを意味していた。
 矛盾する。
 ファレンを認めてもらいたいような、自分だけのものでいてもらいたいような。自分の欲深さに目を閉じつつ、貴海は長く息を吐いた。
 扉が叩かれる。返事をするが、その先の行動がない。扉を叩いたきり沈黙している気配にいぶかしいものを感じた。彼岸では感じたことがない。此岸だからといってありふれるものではないそれは。
 敵意だ。
 貴海はファレンの手をつかみながら扉に近づき、強く叩いた。向かい側の気色に動揺が混じってから一気に扉を開けて押しこみ、ファレンを挟まないように出て閉じる。
 外にいたのは二人の少年で、由為よりも少し年上といった外見だ。
「こちらに何の用事かな」
 少年二人は沈黙を保つ。貴海は扉を背にしてよりかかりながら、静かに問いかけたあとは黙った。ファレンが服の裾を引っ張るが気にしない。
 沈黙に耐えきれなかったのか、少年の片方が口を開く。
「あなたが貴海さんですね」
「彼岸から来た、此岸を滅ぼす人」
「まあ間違ってはいないが」
 どうしてそれを知っているのかを尋ねても知りたいことは返ってこなさそうだ。物騒なおつかいを頼まれた雰囲気が二人から漂っている。
「君たちはなんて名前だ」
 返事はない。名前を知られることを危険だと思っているようだ。だんまりを続けられるのなら、部屋に戻ろうかというところで背中から扉を叩かれる。移動すると由為が出てきた。
「何かありましたかって、是人と直? どうしたんだよ」
 名前を呼ばれた少年たちも由為の登場に驚いていた。しばし黙って気まずげな視線を交わし合う。
「知り合いか」
「友達です」
「ならすまないが、仲介してくれ。喋らないからどうしようもない」
 お手上げだ、と片手で示すと心得た由為は穏やかに是人と直に話しかけた。相手が緊張を解きほぐすような口調に代わっても、目の前にいる少年たちの口は重い。途中で諦めたのか、直が大きく息を吐いてから話し出す。
「具体的に打ち明けると、弦さんにそそのかされました」
 彼岸で留守番をするように釘を刺した相手の名前が出てくる。意外性はなかった。貴海とファレンが添い遂げるさまが見たいです、と公言しているような相手だから、半分は追いかけてくるだろうと諦めていた。おそらく貴海たちが彼岸を発つよりも早く、此岸に戻ってきたのだろう。
「青い鞘に、紫の剣を持って。弦さんは俺たちに言いました。此岸を滅ぼしたくないのなら、言うことを聞いてくれないか、と」
「脅迫だな」
「弦さんが滅ぼすんじゃない。貴海さん、あなたが滅ぼすと聞きました。本当に此岸は、俺たちは滅びるんですか?」
「人の繊細な部分に遠慮なく触れるものだ」
 憂いを見せるファレンを引き寄せる。こんな状況であっても、自分の安定を考えてくれているのが嬉しかった。それだけで勝手な告発など、どうでもよくなる。
「条件を満たして俺が滅ぼすか、新字を受け入れるのを止めることにより、勝手に此岸が滅びるか。どちらかは確実だ。忘れないでもらいたいのは、まだ滅び方を選ぶことができることだけ。……だが君たちは、滅ぶことを嫌うのだな」
 頷かれた。
 昼のきさらとのやりとりを思い出す。どうあがいても、現在の此岸の人たちは助からない。絶望の深さを勝手に決めることはできないが、新しい字が生まれなくなった此岸の虚無は決して浅いものではないことは理解できる。
 貴海は此岸を滅べば良い、と積極的に思ったことはない。ファレンと天秤にかけて何度も計り、いま手をつかんでいる人を優先すると決めただけだ。その意思は変わらない。
 だが、目の前の少年たちの必死な目を見ても、心を動かされないほど薄情でもなかったようだ。中途半端なお人好し加減に呆れてしまう。
 だから、言った。
「確約はできない。ただ、いまの君たちには届かない俺の愛しい人が害されないかぎりは、俺が世界を滅ぼす一手は封じておくことは約束する。由為」
 これでさらに弦と、ヴィオレッタの剣を探さなくてはならなくなった。
 由為は強く頷いた。

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