花園の墓守 衛編 第三章『現実』

 衛は二回目の花盗人が始まる朝に、自室で一人考えていた。
 どうしたら花影たちと拮抗できるのか。前回は滅びた彼岸という場に適応できず、花嬢に押さえ込まれて何もできなかった。
 まずは滅びた彼岸で行動できるようにならなくてはいけないが、そのためにはどうする必要があるのか。立ち上がり、心当たりのある相手のところへ行くために部屋を出ていった。
 廊下を歩いて、左から二番目の扉を叩く。
「衛です」
 扉が開き、部屋の主であるファレンは笑顔で出てきた。
「珍しいな。どうしたんだ?」
「今回の花盗人でお聞きしたいことがあります。どうしたら、俺も滅びた彼岸で動けるようになりますか」
 唐突な質問にも関わらず、ファレンはすぐに衛の本心を理解したようだった。
 そうして部屋の前ではなく、一階の荷物室に連れてこられた。棚や箱の中に整理されている様々な形状の物を探るファレンの考えが衛こそ分からず、声をかけようとした時だ。
 かがみこんで、髪をかきあげる一瞬に目を奪われた。
 薄紅とも例えられない色の細い髪が揺れた。整えられた爪が彩る指の繊細な動きと横顔の儚さは未知のものだ。ただ、美しいと胸を打たせるのではない。不意を打って動揺させる。けれどもう一度見たら、変わったところはない。ただの気のせいだったかと忘れるようだが、また次の瞬間に美しさを気づかせる。
 衛は己の不謹慎さに憤りながら声をかける。
「ファレン、さん。何か探しているのでしたら手伝いますが」
「気にするな。場所が変わったら困る。あ、あったあった」
 箱の中から何かを取り出して、衛のところまで戻ってくる。差し出されたのは一冊の本だった。
「また本ですか」
「また本だ。試しに開いてみるがいい」
 言われたとおりに頁をめくっていくが、書かれている字は古字なのかそれ以前の物なのか、意味不明な内容でしかない。
 ファレンが何を伝えたいのかわからなかった。思わず眉を寄せると静かに言われる。
「衛はこの本を読めなかった」
「そうですね」
「どうして読めないんだ?」
 純粋な疑問のように聞こえる聞き方に、意識しないまま苛立ち混じりに言葉を返してしまう。数時間後には己を責めると分かっていながら、愚か者の道を歩き始めていた。
「俺が分かる字ではないからです」
「でも、由為なら読めた。由為だって書かれている字そのものはわかっていないというのに、由為はこの本が分かる」
「変革できるからですか」
「その通り!」
 満足そうに笑うファレンを見ながら、時間を無駄にしたかと頭が痛くなる。本を閉じて突き返したくなる乱暴さをこらえて、いつものように両手で返してからファレンに背を向けた。きさらに相談することも、貴海に聞くこともできず、七日にだって分からないことをどうしてファレンが知っていると自分は思ったのだろう。頼った糸は先がぷつりと切れているだけだった。
「衛」
 しん、と声が響く。足を止めた。振り向くことはしなかった。
「すでに貴海も言っているだろう。君は、現実を見ることができるんだ。ないはずのものではなく、いまあるものを正しくあると感知できる。それは、変革できる貴海や由為にはない長所だ。他人を羨むな、自分を尊べ」
 扉に向かっているように努力していた足を反転させて室内に向ける。早足で進み、ファレンから数歩離れた場所に立つ。いつもならばしない。無礼な真似をすることは自分が許さないというのに、いまは目の前の女性の優しさに甘えて衛は静かに怒りを吐き出した。
「それでも俺は、彼岸では無力なんです」
 口にすると傲慢さが一気に顔を出した。目の前の女性は分からない。勝手気ままに振る舞うことしかしない童女のような、いつだって現実など持ち合わせない無責任なファレンは、自分の苛立ちや義務感などを理解しえない。花を愛でるような余裕で由為たちに心を配っている。
 いまファレンを責めているのは衛で、怒りをぶつけられているのはファレンだ。だというのに、怯えることなく落ち着いて見つめてくる金と緑の瞳の中にいる衛は、ファレンよりもひどく惨めだった。
「八つ当たりはそこまでにしてもらっていいか」
 かつん、と足音がする。あえて強調したのだろう。振り向かなくとも誰が来て、言ったのかはすぐに分かった。衛が離れて道を作ると普段と変わらない貴海がファレンを背にする。
「そろそろ、花盗人が始まる」
 言外に行いを咎められていた。貴海が怒るさまは出会ってから三年間、一度たりとも見たことがないが今回はその感情を引き起こしかねない。
「はい。失礼しました」
 いまだ落ち着かないまま、まだ得物も取りにいっていない。衛は自室に戻ろうとするが、強い声に止められた。
「衛」
「……失礼なことをしました。後で謝罪に行きます」
 顔は見られない。自分のしたことを思い返すと、貴海が言った八つ当たりしかしていなかった。わかりにくいとはいえファレンは自分の質問に答えてくれた、くれようとしてくれた。荷物室を出て行く自分の背中をファレンの声が追いかけてくる。声は苦いほどに優しさに満ちていた。
「自分で自分を愛するのは難しい。だとしても、衛はそれができるほど大切にして、されて、生きてこられたのだろう」
「ファレン、それ以上は口にするな」
 衛はどうやってファレンの唇が塞がれたのかは知らないまま、部屋を出て行った。
 階段を上がって自室に戻り、剣をとる。木製ではない、触れると切れる本当の剣だ。花影に対抗する道具であり、まだそれが正しいのかは分からないまま滅びた彼岸へ赴く。
 気落ちする心をなだめながら花園へ向かう。エントランスホールまで下りると玄関の扉付近に弦がいた。
 いままでにないほど、冷たい目をしていた。
「よーくファレンさんを否定することができましたね」
「そうだね。自分のことながら恥じるべき行為をしたよ」
「馬鹿ですか、あなた」
 怒らない。視線を合わせたまま衛は口を閉ざす。大仰なため息を長々と吐いてから断言される。
「馬鹿ですね、あなた。理解することを夢見ていながら都合が悪いとだんまりですか。さっきの現場も見ていましたが、衛さんは自分から相手を理解しようなんてしていない。耳に優しい返事をもらうことだけを求めている。それを強制していることにすら気づいていない、あなたが僕は嫌いです」
 弦の深い青の瞳には、初めて見る怒りが点っている。言い訳など聞く気はない。衛はつい口元に苦笑を刻んでしまった。
「何笑ってんですか」
「いや。君とこうして話すのは初めてだと思ったのと。言われると確かにそうだな、と耳が痛くて」
 相手を理解したい。そのための努力として誰に対しても真摯に接していたとは思うが、見抜く人は自分の努力を疎ましく感じるだろう。
 最初から、自分が満足するだけの答えしか相手に求めていない。心地よい理想を矛にして相手の意思を無視している。いまの弦みたいに嫌悪を覚えている場合もあっただろうに。
 弦は腕を組み直しながら再び息を吐いた。
「まあそうなるのも仕方ないかもしれませんね。純粋な此岸育ちでしたら」
「弦さんは純粋な此岸育ちではないと」
「半分、意味のない字が混ざっている僕が無垢なだけの此岸で育てたとお思いなんですか。おめでたいですね。此岸は、あなたや由為くんが思っているほど清く美しいだけの場所ではありません。それを知っているから、僕は貴海さんに敬意を抱きますしファレンさんに憧れます。全てを敵に回すとしても、二人の幸せを守らずにはいられません」
 不吉の匂いがした。
 三年間、由為への怒りと弦への不信があったために、必要なこと以外の話をしなかった自身は間違っていた。花影以外にも目の前に不穏を抱えている相手がいたというのに、どうしてその気配すら辿ろうとしなかったのか。分かっている。
 お互いに理解をして、和解したい。
 それは衛が上品な言葉で塗り固めた欲望でしかなかった。本当は傷つきたくないから。傷つけたくないから、弦の言ったとおりに相手の要望をすりつぶして理解した振りをしていただけだ。此岸と彼岸で関わってきた相手が衛の望むとおりに振る舞ってくれたから、気づかなかった。
「行きましょう。まずは由為くんを助けないと話すらできない」
 弦は扉を開けて外に出る。衛も続く。
 花園では昨日と同じ面子が待っていた。七日と、花影たちだ。
「すみません、お待たせしました」
 先ほどの冷たさを目の奥に隠し、弦は明るく話しかけた。
「本当に。七日さんが自分一人でも行くと決めるくらいには、待たされたわ。さて前置きなしでいきます」
 花嬢が顔を上げる。花をゆっくりと煮詰めた時のように、甘いけれど品のある薫りが四方八方へ広がっていく。触れている剣の感覚が曖昧になっていき、視界も混濁する。

 ふらつく頭を押さえながら、衛がいるのは滅びた彼岸だ。弦は相変わらず余裕をもって弓を弾き、七日は真剣な顔をしている。
 今日の花は奪われてはならない。覚悟は衛と七日に共通していた。
「で。今日はどうするんです? 昨日みたいに衛さんは詰んで、七日さん任せですか?」
 痛い真実を言われたが落ち込む暇はないので、気にせずに可能な限り理想的な流れについて話す。実行できるかは分からないが、しなくてはならない。
「一番の目的は由為君の花を奪取する。そのあとに相手を威嚇しながら、できたら相手の花も取って……勝ちにいこう」
 頷く七日に言い添えた。
「弦さん、影生と影君だったらどちらが厄介かな」
「それは影生さんですよ。影君はまだやりこめる余地がありますけど」
「なら俺と弦さんで影生さんたちを抑えて」
「いや、衛さん一人でやってもらえませんか?」
 はたりと流れが止まる。止めた本人は変わらず弓の調子を確かめていて、七日がこづくまで何も言わなかった。
「何をする気なんです、弦さんは」
「いざというとき花を射ます。もう、あちらに花を譲る気はないのでしょう?」
「由為君の花を壊すつもりか?」
 一気に気色ばむ衛に弦はにやりと笑い首を横に振った。まるで子どもをからかう大人げない青年の調子だ。
 人の考えは完全に理解することはできず、察してやりすごすばかりだが、弦はそれすらされたくないようだ。直前の会話を思い出す。弦は衛を嫌っていた。
「由為くんの花であれ、花影たちの求める花であれ。花を射るのは駄目だ」
 花の管理者である自分たちが花を傷つけることは許されない。正しく主張すると肩をすくめられる。
「わかりました。では、僕は花盗人が始まったら一人で高いところを奪いにいきますから」
 会話が終わった頃、向かい側に立っている花嬢が呼びかけてくる。
「そろそろ始めてもいいかしら」
 衛を中心に左に弦、右に七日が立った。始まりの合図はすぐそこまで来ている。向かいあう影君、花嬢、影生はそれぞれ泰然、不動、余裕といった様子を見せている。
 いまだふらつきそうになる足をしっかと踏みしめて、衛は待った。
 鐘が遠くで鳴る。
「由為くんの花は白の花園!」
 本を開き、声を張り上げたあとに放り出した七日はそのまま、白の花園へ走って行った。今回相手をするのは花嬢らしく、悠然とした足取りで花園へ踏み入っていく。
 衛の前に立ったのは影生だ。大きく物騒な塊が付いている棒を片手で持って、笑っている。一歩踏み出せば相手も前進した。
「昨日は花嬢に散々やられてたな」
「お恥ずかしいかぎりで」
「安心しろ、あんたくらいじゃ本気は出せない。弦や、あの青い髪のお嬢ちゃんだったらまた別だったけどな」
 一番弱いと言われているようだが、嘲りの気配などはなかった。事実を告げられている。口にされた本気は出せない、の言葉が信用に値するか探りながら剣を構える。
「どうして、貴海さんはおまえを中心に据えたんだろうな」
「俺だってわからない」
「的確なのはお嬢ちゃんで、適役だとしたら弦だ。まあ、あいつは半分こっちだから任されにくいのもあるだろうが。あんたは一番、ここでは役に立たない」
「ここで駄目だとしても、ここではない場所で俺はやれるよ」
 思いがけない言葉だったのか、影生はきょとんとした後に大きな声で笑い出した。くく、と喉で笑いながら続ける。
「そうだな。じゃあ、確かめさせてもらうとするか!」
 影生は一足飛びで距離を詰めてきた。迎え撃つ前に。
 目を向けられる。抱えていた強烈な眠気が意識を引き裂くものに変わった。衛は揺らぐ視界の中で影生が突撃するのを認め、受ける構えに立ち回る。ぶつかりあう前に、緑の本が割っていった。
「わ!」
 本は大胆な熱情をあらわにするように一気に見開いた。書かれている文字は直さなくとも読める。
『現実を見ろ』
 だからどういうことだ。
 焦る気持ちを宥めながら顔を上げる。現実。いま。眠気に苦しめられてはいるが、本当に眠いのか。距離を置いて機を狙う影生がいる。一つの影が揺らいでいる気がするのは。
 衛は現実に影生がどこにいるのかを見定めていないからだ。
 現実を、見ろ。
 いまだ間合いから避けていく影生にあえて斬りかかる。がつ、とぶつかり合い、高らかに声が上がる。
「はははっ! なんだ、面白いじゃないか!」
 影生の持つ得物に振り回されて衛は吹っ飛んだ。
 吹っ飛びかけた。
 強い風が通り抜けた。
 無事な衛は剣を構えたまま、足下でしゃがみこんで笑う影生を見る。凄惨な笑みは信じられないものを見たという驚愕と喜悦を混ぜて練ったような表情だ。
 動揺に呑み込まれそうになるが、衛は次の影生の動きを見て、体の軸を反らした。また強い風が吹いた気配だけがする。
「……おい」
 話し合う余地はいまはない。判断した衛は地を踏んで影生の脇腹を狙った。相手の棒で防がれる。ようやく至近距離で競り合いながら影生は理不尽を叫んだ。
「おまえ、現実が見えるんだな!?」
「現実しか」
 いつだって。
「ない」
 影生はわずかだが貴海よりも背丈があるため抵抗する力もあるだろう。しかしいまだ振り払いはしないのならば七日ほど器用かつ早く動くことはできないはずだ。競り合いのまま行動不能にさせたいが力押しでは途中で剣の身が影生の体で止まる。刺すよりも斬るより付くよりもすべきことがあるとするならば。
 そこまで考えて、衛は上に剣を跳ね上げた。距離の生まれた影生が衛を再び捉える前に、思い切って殴りにかかる。ごつん、と苦い音がした。影生は地面に膝をつく。
 追い打ちをかけるか悩む。もしくは七日の援護か現し身の花を取りに行くのも一手だ。
「一番の力不足だと思っていたが、なかなかやるじゃないか」
「どういたしまして」
 影生は立ち上がる。まだ折れていない気迫から、どちらともなく斬り合いが始まった。影生は再び現実を変えようとする。その奇妙な技は最初の頃に貴海が見せてくれた変革だ。
 おそらく、花影は現実を歪められる。
 だから衛は現実に引き戻す。自分の見ている世界を信じた。唐突に後ろから凶器が突き刺さることは現実ならばない。現実に起こすのならば正しい手順を踏まなくてはならない。
 影生の三撃目。曲がろうとしている。あと少しで曲がって届く。技巧に優れた相手ならば可能なはずのその動きだが、現実では曲がらない。
 三手目はない。
 衛は判断し、突きにいった。よけることのない影生は倒れるように地面に背中を着けた。相手を無力化したと判断し、問いかける。
「変革。それは現実を入れ替える力で合っているかな」
「現実。それは変革を許さない意地っ張りだな。っは、道化たことをしかけていると思ったが、これが貴海さんの狙いか」
 貴海の狙い。その言葉が引っかかり、問いを重ねる前に影生は言った。
「行けよ、現実に生きている男」
「衛です」
「えいか。由為とやらの花を手にして、次に進ませてくれ。説明はそれからでもできる」
 唐突な発言と示された状況が理解できない。尋ねたい気持ちもあるがいまはそれよりもすることがある。衛は謎を圧して、剣を掴み直すと走り出した。
 由為の花を取りにいく。走っている途中で本の存在を思い出し、呼んだ。
「本」
 適当な場所に放置されていたはずの本はいつのまにか並走する。貴海がどういった仕掛けをしたのかはわからないが、これは現実なのだろう。衛は認められる。
「俺は次に何をするべきでしょうか」
 「ここまできたら自分で決めること」と読めたので、苦笑した。ここまできたら、由為を助けるために全力を尽くすのが自分のするべきことだ。何を聞いているのだろう。
 白の花園が見える。戦っている七日から少し離れたところで花をかきわけて走っていくと、動きに合わせて折れる花に胸が痛んだ。勝手に目が潤む。
 ここは滅びた彼岸だ。二度と花の季節は巡らない。
 いずれ訪れる、もしくは暴かれる彼岸の現実だ。
 衛は初めて滅びた彼岸を現実として理解できた。体を苦しめていた、酩酊が完全になくなる。澄み渡った思考のまま、花園を傷つけて、花に埋もれた瓶に入れられている由為の花を手にした。
「由為君の花、つかまえた!」
 声を上げると七日と花嬢が動きを止める。衛は二人にも分かるように掲げて示した。どうしてか二人とも、一緒に由為の花を見に来た。先ほどまでの戦いはただの芝居だったように、並んで花を見ている。
 瓶の中の花は現在を象徴する白い花だった。七日は、瓶の滑らかな側面に指を添えて、声を震わせながら囁く。
「ようやく、帰ってこれるんだね」
「うん。ようやくだよ」
 いまもまだ眠っている少年の面影を頭に浮かべながら七日と微笑みを交わした。それから複雑な表情をしている花嬢の存在を思い出す。どこか安心した様子だった。まるで、衛たちにわざと由為の花を譲り渡したような。
 疑問の答えが出る前に、違う瓶を手にしている弦がぼやきながら現れる。
「ああ今回は華麗に花を取れたのに僕の見せ場がなかったです。で、皆さんはこれからどうするんですか」
「とりあえず元の彼岸の屋敷に帰るべきだろう」
 影君が引き継いで、花嬢に目を向けた。折れて首を垂らす花に足を囲まれている少女はゆっくりと顔をあげる。薄い唇が言葉を紡ぐ。
「ようやく、私と由為の約束が叶うから」
 風は吹かない。
 滅びた彼岸の花は揺らされなかった。唯一の義務として枯れるまで咲き続けている。
 二度と咲くことがないとわかっているように慎ましく。

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