花園の墓守 由為編第四章『信頼はひっくり返って涙になる』

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 此岸から由為たちが来て十日以上の日数が過ぎた。
 仕事にも慣れて空いた時間もわりと作れるようになったのは楽しくて、新鮮な毎日だ。此岸にいるだけでは分からなかったことを由為は貴海たちから教えられる。衛やきさらも此岸の仕事の話をよくしてくれた。衛は主に現字に関わることを、きさらは花が字にもたらす効果を調べていたと話をしてもらえた。
 今朝の仕事も終わって、由為は衛と一緒に二階にある談話室で貴海から教えてもらった彼岸のカードで遊んでいた。
 全員が手札を見せ終えた直後に咆哮する。
「貴海先輩は強すぎる!」
「まあまあ。俺よりは勝てているよ」
 二十回ほど勝負をして一回しか勝てていない衛に言われると、三回は勝っている自分に文句を言う権利はない気がしたので由為は黙る。
 十六回のあいだに十二回連続で勝利のカードを引いている貴海は涼しい顔のまま言った。
「諦めなければ勝てる」
「そりゃそーですけど。あ、でも勝負に手は抜かないでくださいね。書館は諦めていないので」
 机に突っ伏していた由為が宣言すると貴海は笑ってくれた。最初は後に罠を仕掛けているのではないかと怖々してしまう貴海の笑顔が、本人にとっては純粋な笑顔だとファレンに教えられてからは、つい眺めてしまう。
 目を細めて右の口元をより引き上げるあくどい笑顔だ。カードを手にしていると表ではできない仕事をしている人に見える。
 もう一回、挑むかどうかを悩んでいると扉が軽く叩かれ、答える前に引かれていった。
「あら、男性の方々はこちらにいたの」
「きさらさん」
 姿を見せたのはきさらだ。
 今日の昼食は貴海の手によるものではなく、ファレンが料理をするときさらと七日に声をかけていた。由為たちは「入られたらいやだぞ」と言われたものだから、花の世話を終えたあとにカードを教わっていた。
「そろそろできあがると七日さんが言っていたから」
「ありがとうございます」
 衛が頭を下げる。退出しようとしたきさらを、貴海は止めた。
「料理は七日とファレンで間に合うか」
「はい」
「なら書館について話をしよう。きさらさんも座ってくれ」
 きさらが視線で椅子を探すと衛が隣の椅子の背を叩いたので、きさらもそこに腰を落ち着ける。
 貴海は手にしていたカードを机の上に伏せて、普段よりもゆっくりと話を始めた。
「書館がいつから彼岸にあるのかは定かではない。だが、俺が彼岸で暮らすことになる前から。父の代から話はされていたので三十年前からは確実に存在している。当然のことながら書館を仕上げたのは彼岸で生きていた方たちだ。彼岸の方たちは此岸の方たちよりも文字を読み、書くことに特化していた。言い方が悪いが聞くことを苦手としていた方たちだからな。書館の中にあるものはまだ詳しく説明できない。自分の目でみてもらうのが早いとはまさにこのことだが、それなのに書館を此岸側の管理者から遠ざけていたのは」
 貴海は言葉を止めた。きさらを、衛を、由為の瞳を見てから口を開く。
「君たちがまだ彼岸における第五の段階にたどり着いていないためだ」
「段階とは何ですか?」
 きさらが質問を飛ばす。貴海は頷き、指を立てて説明を始めた。
「聞く、話す、読む。ここまでは此岸の方たちもできる。次の書くも、管理者としてこちらに遣わされたのだからできるだろう。俺が君たちも書館に入ることを認められるようになるのは次の段階。変革ができてからだ」
 貴海は立ち上がると、談話室の左隅に置かれている四角い背の低い引き出しの上にある花瓶から花を抜いた。手にした青い花はまだ背筋を伸ばしている。
「これから俺はこの花の情報を読み取って書き換える。ものは……カードにでもするか」
 目を閉じる。貴海は紫の視界を閉ざしてから、再び瞼を上げると花を見る。
 一瞬だった。
 由為ならば何もできない。抗えないほど、短くて些細な一瞬しか貴海は花を見ていない。それなのに花は貴海の手の中で一枚のカードとして存在していた。
 全員が息をのむ。貴海は何をしたのかは言ったが、どうしてしたのかは見当もつかない。此岸で持っていた球を隠して消した振りをする奇術とは違う。三人は、花がカードになったのだということにも納得していた。
 自然と受け容れられることが由為には恐ろしかった。
「……その変革、は誰にでもできるんですか」
 呆然としていた中でも、最初に声をあげるのはきさらだった。現状を理解して次に進もうとする。
「できないな。君たちの中でも変革ができる可能性があるのは、由為だ。衛には向いていない」
 事実だと伝えられて由為は衛の手が強く握られたのを見た。切なくなる。衛と初めて会った日に由為は優しい理想を聞いていた。その憧れを叶えられる可能性が衛自身にはないと言いきられてしまう。どれほど、悔しくて苦しいだろう。由為は想像するばかりだが衛は感情を乱すことはしなかった。表面は落ち着いている。
 せめて、何か方法はないかと由為が口を開こうとする前に扉が開いた。
 今度はファレンだった。
「料理ができたが。どうした」
 部屋に漂う曖昧な雰囲気を察してかあえてさっぱりと言われる。
「なんでもない。配膳を手伝おう。三人はまあ、ゆっくりしていてくれ」
 貴海は由為たちを手で制しながら立ち上がり、ファレンの後に続いていった。遠ざかっていく声に耳をそばだてることもなく、由為は貴海が変革したカードを手にとる。
 表も裏も青い花が描かれた紙でしかない。
「どうしたらこんなことできるんでしょうね」
「あながち、おかしなことではないわ。此岸だって似たようなことはできている。ここまで突飛なことじゃないだけで」
 きさらの真剣な横顔に由為と衛の目が奪われた。落ち着いた様子できさらは由為からカードを手にとって説明を始める。
「貴海さんがしたことはものを構成する字の解読から別のものへの書き直し。突き詰めるとその二つだけだと思うの。此岸でも現字から新字をほどいていくことはするでしょう?」
「そうだね。混雑した縛字から現字への変換。それは貴海さんがしたことと仕組みはさほど変わりは無いけれど、問題なのはどうやっていま手にしているものを別のものに変えられるかだ」
「七日さんが貴海さんは目がすごくいいと言っていたけれど。そのあたりに関係あるかもしれないわね」
 そこで由為も衛もきさらも黙り込む。目の前のカードはいくらつついても細かな感触を伝えてくるだけだ。机の上を滑らせるのに苦戦しながら由為は尋ねた。
「きさら先輩。此岸の字の解読ってどうやるんですか?」
「字刷り硝子というものを通すと目に映るようになるの」
「じゃあ、その字刷り硝子でこれを透かしたらどんな字が見えるんですかね」
「試してみる?」
 衛は上着に縫い付けられた袋から手帳を取り出して、さらに挟んでいた水色の薄い板を差し出した。由為が「ありがとうございます」と言って受け取ろうとすると、一瞬だけだが衛の手が止まった。
「どうかしたの?」
 きさらが衛に話しかける。難しい顔をしたまま衛は言葉を洩らした。
「わからないけれど、由為君がこの字刷り硝子を使うのはよくない気がして」
「遠慮した方がいいですか」
「多分。きさらさんは扱えるかな?」
「甘く見ないでくださいな」
 余裕のあるきさらの態度に由為と衛も安心した。字刷り硝子は結局、由為ではなく、きさらが受け取る。片方の目を閉じてきさらは長方形の字刷り硝子越しに左の目の焦点をカードへあてた。
 きさらは即座に目を離した。
 手からは字刷り硝子が滑り落ちていき、床に当たって僅かながら破片が散った。きさらの身体から力が抜ける。倒れそうになる身体を衛が支えた。
「きさらさん! 由為君は貴海さんを連れてきて!」
「はい!」
 由為は即座に談話室を飛び出した。階段を一気に駆け下りて食堂へ向かう。すでに並べられた花が焼き、煮られたことによる美食の匂いが漂っていたが、由為が扉を開けると空気は変わった。
 最初に感じたのは哀れみだった。伝えるべき言葉すら塗りつぶされて喉の奥が乾いていく。この感情を強く向けているのは誰だ。
 由為の青い瞳は皿を手にした七日に向かった。七日だけではなく貴海やファレンも、衛ときさらに起こった事態を想定していたような落ち着きがあった。初めて由為は三人に不信を抱く。切羽詰まった相手を前にして、どうしてこんなに落ち着けるんだ。
「貴海先輩! カードの字を読み取ろうとしてきさら先輩が」
「いまからいく」
 貴海は由為に向かって歩き、追い越していく。早足で進む背中に追いつくには由為は走るしかなかった。二階へ昇る階段の途中で貴海は言葉を落とす。
「直に字を読むとは無茶をしたな」
「じかに?」
「ああ。此岸のものが彼岸の字を読むのならば、あいだに挟まなくてはならないものがある。そうでないといまのきさらのようになるだけだ」
「倒れたきさらさんの心配はしないんですか」
 談話室の扉を開けながら、貴海は不思議そうに言った。
「無事だと分かっているのにどうして心配する必要がある」
 焦げ茶の髪と紺色の制服が扉の向こうに消えても由為は追いかけることができなかった。
 立ち尽くす。拳を握る。悔しくなる。
 貴海先輩がひどい人だと決めつけるのは早すぎるけれどいまの言葉は悲しかった。こうなることをあらかじめ知っていたわけではなさそうだが、だったら心配の一つくらい見せてくれたっていいじゃないか。
 此岸と彼岸には越えられない河があるとでも言いたげに、断絶して接してくる七日や貴海を由為は初めて怒りたくなった。
 その後ろで踏み出すかどうか悩んでいる七日の肩にファレンが手を置いて、押しとどめているのには気づけないまま、由為は手を震わせていた。

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