気付かない人

 貴海は真面目で勤勉だ。
 つまりは、怠けるという行為を己がすることを許さない種類の人間である。それが、由為が一週間ほど貴海と暮らして抱いた感想だった。
 泳がなければ呼吸が止まる魚のように貴海はほとんど何かしている。本を読んでいたり、剣の練習であったり、雨漏りの点検をしていたり。大丈夫かなあこの人、と由為も思わずにはいられなかったのだが。
 案外大丈夫だった。
 それは、貴海のパートナーであるファレンがたいそう甘やかし上手だったためだ。

 今日も由為を連れて屋敷の説明をしている貴海だが、珍しく疲れているようでふとした瞬間に息が漏れる。
 何があったのか、自分には打ち明けられないのかともどかしく思いながらも由為は貴海の話に耳を傾けていた。手にはペンとメモ帳を持っている。
「ここは火事にあったときに逃げ道になるから物を置くなよ」
「あとはどこが逃走経路としてありますか?」
「そうだな、案内する」
 二階から一階へ降りる。そのまま、普段は入らない部屋を見て緊急時の対策を教えてもらったあとのことだ。
「たーかうみ」
 ひょこんとファレンが現れた。
「どうかしたのか」
「ああ。由為、こちらに来てくれ」
 呼ばれるからなんだ、と思って近づくと、ぐっと首に腕を回せられた。戸惑う間もなく、ぎゅーっと顔を胸に押し当てられる。
「ぎゅー!」
 いやあなたぎゅーじゃないでしょう、ぎゅーじゃ! しかしなんだこの柔らかで温かくてふんわりとした気持ちの良い。
 ものを顔に押し当てられているあいだに首根っこをひっつかまれた。ファレンからは引き離される。見上げると、首根っこをつかんでいたのは貴海だった。
「ファレン」
 叱責の調子の言葉に身をすくめる。ファレンは呑気に笑っていた。
「羨ましいか」
「羨ましいに決まっているだろう。あと由為をからかうな」
「何を言う。俺は、貴海をからかっていたんだぞ」
「は?」
 同じように「何を言っているんだ」という顔をしているだろう貴海の首に腕を回す。そのまま、貴海の顔ではなく胸板に自分の身を寄せた。
 ファレンの手が貴海の焦げ茶の頭を撫でる。
「俺はちょっとばかし寂しい。相手をしてくれないか?」
「……由為とはまだ」
「あーいいですいいですもう。いちゃついてください」
 貴海先輩とは離れがたかったけれど、ファレン先輩がこんなことをするというのならばだいぶ貴海先輩はお疲れ、ということだろう。
 ファレン先輩は貴海先輩を甘やかすときにかぎって積極的になる。それ以外は実は、ファレン先輩から接触してくるのは少ない。だからかわいそうなのだが。
 素直に甘やかすべきだ、とファレン先輩が思ったのならば後は任せよう。
 由為はそう思い、手を振って二人のところから去っていった。

 残された貴海はどうしたものかと考える。
「うふふふ。いやだと言っても放さないぞ?」
「それはありがたいがそろそろ胸は触れさせないでくれ。欲情する」
「わかった」
 大人しく腕を解き放ったファレンの腰に手を回し、周囲に目を走らせて誰もいないのを確かめてから、口づける。ちろりと舌を舐め回せば腕の中の女性は目を閉じた。
 ちゅぱ、と音がする。銀色の糸がランプの光にあてられて鈍く光った。
「昼のあいだはしないからな」
 それは前置きし、ファレンが腕を組んでくるのに身を任せる。左の腕に豊かでやわらかな感触を与えてくれるものがあるが、それを由為も味わったのかと思うと少しばかり不機嫌だ。
「貴海。大好き」
「…………ご機嫌はとらなくていいから」
「何をしてほしい?」
「………………部屋に着いたら話す」
 わかったと頷いて、屋敷の中を歩く。そのまま貴海の部屋に着いた。鍵を開けてすたすたと歩くと、ファレンをそのまま寝台に落とすようにして覆いかぶさる。
 抱き枕を手にした子供のように抱きしめた。癒しを与えてくれるファレンは文句を一言も口にしないまま、貴海の頭を撫でている。
「おつかれさま」
「ん……」
 言われると、ああ俺は疲れていたのか、と今さら眠気や倦怠感に襲われる。由為といたときも感じていたのだろうが、どうやら無理をして抑えこんでいたらしい。
「君は、どうして俺のことがわかるんだろうな」
「それは俺が、おまえの愛からできているためだよ」
 ずるずると顔を下げていく。寝台のシーツもすべらかでマットレスも体を受け止めてくれているが、心を抱きしめてくれているのはファレンだ。触れたら相手に刺さりそうなのを潜り抜けて棘を抜いてくれている。あるいは、けがを承知でなだめてくれていた。
 俺の髪をすきつつ、背中をなだめるように叩きながらファレンはさらに深い眠りに誘う妖精の声で囁いてくる。
「もういい。もういいよ、貴海。俺に甘えなさい」
「そうすると、いまいち決まらないのだが」
「細かいことを気にするな。俺が、貴海をとろっとろに甘やかしてしまいたいだけ。それだけだから、もういいんだ」
 抱き枕なのにただ身を任せるだけではなくどこまでも深い、安楽の底へ招いてくる。不思議と怖さはなかった。あったのは、もういいかという許しを請いたい気持ちだ。
 ファレンはそんなことをわかっていて、乞うのならば与え、認め、許してくれるのだろう。わがことながら随分と甘えていて依存していると笑うってしまうが、ファレンが一緒にいてくれるならいい。
「ファレン」
「んー?」
「愛している」
 それだけを言い終えて貴海は眠りに落ちた。
 だから、「俺が先に言ったのになあ」とくすくす笑って上機嫌なファレンを見ることは叶わなかった。
 貴海は真面目で勤勉だ。
  だから、ファレンにだけ甘やかされることを許す。

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