凱旋の声を上げる刻

 タトエの右腕が弾け跳んだ瞬間、ソレシカの世界は止まった。
 時はありふれた妖魔退治の最中、突如現れたのは巨体の怪物。気味の悪い色をした皮膚や隆起した関節など、見ているだけでもおぞましかった。トロウルや海獣や植物獣など、まだいくらかの冒険しか経験したことのない無音の楽団には荷が勝ちすぎる相手だ。
 だから怪物に襲われたタトエの右腕から赤がほとばしった。空を染める、絞りたての血液は目が覚めるほどに真っ赤な色をしていた、
 一瞬、その半分、さらに半分が終わるより先に動いたのはレクィエで、得意のワイヤー殺法で切り裂く陣を敷いていく。タトエを喰らおうとした巨体に細く荒い糸が絡みついて全身を苛んだ。怒りの咆哮が上がる。
「撤退だ! 殿は俺が務める!」
 リーダーのカクヤは声を上げた時から察していた。
 無音の楽団で一番耐久力のあるソレシカがいまは使い物にならない。足手まといは流石に言い過ぎだが、実際に重傷のタトエを抱えた赤い髪の男は戦力として数えられなかった。
 サレトナが「暗闇の雲」を使い、敵を撹乱しながら、無音の楽団は深い森から逃走していく。
 暮れ始めた太陽。それにすら怯えるように。

 夜になり、沈黙の楽器亭に無事にたどり着いた。
 意外だろうが怪我を負ったタトエはけろっとしていた。
 出血のため顔色は悪いが、カクヤの手当とクレズニの回復魔法により、右腕は無事に肩からぶら下がっている。だが当分は安静するようにとクレズニから諭されている最中だ。
 そのあいだ、ソレシカは食堂のテーブルに頭を預けて突っ伏している。
「回復できるようになりたい」
 真摯な呟きも、誰もいない部屋では無意味な独り言にしかならなかった。
 カクヤとサレトナは森で遭遇した怪物について宿の親父に話をしている。新米の冒険者には近寄らないように、また腕の立つ冒険者には依頼の発注をかける参考意見とするためだ。クレズニはタトエの手当をしながら様子を見て、レクィエは情報収集と買い出しに出ていってしまっている。
 仲間はそれぞれ動いているのだが、タトエが心配で仕方のないソレシカは放置されていた。クレズニには部屋に来ないように言い聞かされている。
 怪我をしている相手は派手に心配をされる姿を見たくないだろうというもっともな話をされた。自分の不調で手一杯だというのに、さらに他人に気を回さなくてはならない荷物を持たせるのは酷だ。
 しばらくは落ち込むことしかソレシカにはできなかった。
「回復できるようになりたい」
「よし、考えるか」
 話が終わって、戻ってきたカクヤに肩を叩かれる。のっそりと顔を上げるがまた重量のある息を吐いてしまう。
「俺に回復はほぼ無理ということか」
「そうだな。俺たちが前に出なくてどうするんだよ」
 断言するとカクヤはソレシカの隣の椅子に座った。無音の楽団武闘派の両雄が並び揃う。そこまで大げさなものではないが。
「下手にちょっとだけ回復できてもまた強い攻撃が全員にきたら意味ないだろ? 俺たちができるだけ早く敵を倒さないと、じり貧になって結局皆死ぬ。俺はそれが嫌だ」
「それをさらっと言えるあたりがお前はリーダーだよな」
「へえ」
 意外だ、というニュアンスを含めて返された。
 本人に自覚はないだろうが、カクヤのリーダーシップはソレシカから見ていて純粋に尊敬できる。仲間を守りながら、時に切り捨てられる部分は鋭く切り捨てながらも、最後はパーティを勝利に導く。豪商の息子であるソレシカから見れば、場に応じての損得勘定を無意識ではじき出せることは、凄まじい。
 ソレシカが今回タトエに気を取られすぎたように、人には理性では追いつかない、感情による勘定がある。だがカクヤは「仲間を、特にサレトナを死なせない」の強い意思のもとに総合的に計算して全員が生き延びる道を模索し続けている。
 カクヤは立ち上がる。水を汲みに行ったようだ。
 紺のジャケットの背中を見つめながら、合理的判断を適宜行うのが苦しくないというのも息苦しいとソレシカは考えた。
「はい。水」
 目の前に水の入ったカップを置かれる。礼を言って透明な液体を飲み干した。
 一人になってから水分補給も忘れていた。
 いまは夜も深い。食堂のランプをまだつけていると、宿の親父から文句とも言えない苦笑が朝になってから飛んでくるだろう。
 カクヤの顔を彩る陰影も濃い。疲労している。
 ソレシカはもう眠ってしまおうと考えるのだが、眠れる気がしなかった。虫の声も、酔っ払いの乱痴気一つも聞こえない静かな夜だが、タトエはもう眠りに就けているだろうか。
 守りたかった。守れなかった。
 誰もが仕方がないと言うとしても、悔しかった。
 ソレシカの思い詰める横顔にカクヤは穏やかに声をかける。
「あんまり一人で背負うなよ」
「分かっている。だが、愛する人を守れなかった」
「おまえがタトエを守りたかった気持ちは分かる。だけど俺たちは全員打たれ弱いし、ようやく技能も揃い始めたとこだろ? 強くなっていく敵との戦闘で、新しい慣れが必要だ。これから役割も改めて考えていきたいし。ソレシカ。俺たちの強さは、一人でどんな敵も倒せることじゃない。全員で、どんな困難も打ち砕けるところだろ」
 カクヤの言うことは正しい。混じりけのない冷たい水の、正義と優しさが含まれている。だからその液体はソレシカの身に大げさなほど染みた。痛かった。
「わりとおまえは耐久力あるから、一人で戦えるようになりたいならそれも考える。だけど、俺たちは無音の楽団だ。誰一人欠けても凱旋の曲は奏でられないから、皆でがんばろうと決めた。ソレシカがどうしても、と言わない限り俺たちと強くなってもらいたい」
 強制でもなく、命令でもない。
 カクヤから向けられたのは依願だった。
 顔を上げて、隣に座っているリーダーを見つめる。青紺の髪。前髪は少し長い。真っ直ぐな瞳は紅玉の色で、暴利を許さず振り向かずに前へと進んでいく。黒と紺の可動的な衣服に、塞がらない傷を負っている腕から手。
 カクヤは戦ってきた。
 ソレシカも仲間として戦ってきたが、カクヤのように全体を見渡すことはしていなかったと、痛感する。恥ずかしさが走る。
「悪かった。今日は動揺していたみたいだ」
「そりゃするだろ。俺だって、サレトナが同じことなってたらどうするか」
「いや。お前はそうなったとしても全員を導くよ。それができる男だ」
「照れるな」
 投げられた言葉を丁寧に受けとめて、カクヤは静かに笑った。
 かたん、と扉が叩かれる。視線を向けると小さな体が入ってくるところだった。
「あ、ここにいた」
「タトエ!? 傷は大丈夫か?」
「うん。わりかし元気」
 食堂に入ってきたのは、薄い黄色の就寝着姿のタトエだ。頬に貼られた白い絆創膏とぶらさがる右腕が痛々しい。
 ソレシカが立ち上がろうとするとタトエが制す。
「カクヤ、僕の分の水も取ってきてくれる?」
「はいよ」
 立ち上がると二人きりになる。何を伝えるべきか考えて、出てきたのはありふれた言葉だった。
「すまなかった」
「なにがさ」
「お前を守れなかった。大けがをさせた」
 ソレシカの謝罪をタトエはからからと笑い飛ばす。
「クレズニが言ったこともう忘れてるの? 君が気にすると僕に負担がかかるみたいなんだけど」
 痛いところを的確に突かれて、顔をさらに上げられなくなる。
 クレズニは言った。自分が負傷しているときに他人のメンタルケアを押しつけられるのは堪えるものだと。だからタトエに会わないように言われていたというのに、ソレシカは救いを乞うてしまった。
 だから、いまソレシカがするべきことはもう傷に触れないことだ。
 顔を上げてもう一度タトエを見る。口に出そうになる罪悪感の解消は自分のためだから口を閉ざして、目を細めるしかできない。
 しかし、そのまま沈黙に耐えるのも辛かったので、ソレシカは先ほどのカクヤとのやりとりを口にする。
「カクヤが、格好良かったんだ」
「それはそうだよ。カクヤはいつもかっこいいよ。たまに変なボケも言い出すけれど」
「すっげえ腹立つ」
「八つ当たりもしないでよ。僕は元気なけが人なんだから」
 ぐっと言いたいことを飲み込んで、続けたい話を思い出した。
「俺たちは、全員で無音の楽団だと。カクヤは言った。俺も皆と強くなってもらいたいと。だけど、それでいいのか? これから敵は強くなっていく。もっと恐ろしい怪物と出会うかもしれない。そのとき、いまの俺でいいのか?」
「いいよ」
 流れる水の自然さだった。
 カクヤがいつの間にか置いて去っていた水を口に運びながら、タトエは言う。
「僕は、僕たちと一緒に強くなっていってくれるソレシカがいいんだ。化けものみたいに強いなんて、一人でもなんでも倒せることがいいなんて、思ったら駄目だよ。僕たちは強さを求めて冒険者になったんじゃない。それぞれやることがあるけれど、でもいまは皆が大好きだから一緒にいるんだよ。一緒にいたいんだよ。だから……落ち込まないの」
 ぽん、とタトエの手がソレシカの頬に触れて、一筋の切り傷に指を這わせた。
「僕はね。僕と一緒に歩いて、時に転んでくれるソレシカが大好きだよ」
 痛い、という言葉は本来ならこういうときに使うのかもしれない。
 いまソレシカの鼻の奥はつまって、吐き出しそうになる言葉は、強がりにしか変換できない。震えそうになる声を抑えていく。
「それは愛の告白か?」
「親愛のね」
 決して恋だなんて言ってくれない。
 それでもソレシカはタトエのことを守っていきたいと渇望した。そして、叶うのなら後ろに立ってもらうのではなく隣にいてもらいたいと、願う。
 二人で戦えればきっと勝てる。
 六人で戦うのなら敵はいない。
 無音の楽団でいたいと、一人で戦えなくても仲間となら強くあれる自分でいたかった。

 タトエの怪我が治ってから、一週間が経った。
 レクィエが壁に貼られていまだ剥がされていない依頼書を弾く。
「まだ、こいつ粘っているみたいだな」
「案外私たちのことを気遣って残してくれたのかもしれないわよ」
 新しい技能を覚えたサレトナが立ち上がる。
「どちらにしろ、このままで終わらせるつもりはないのでしょう。タトエ、怪我は」
「とっくに治って大丈夫! さあ行きますか」
「雪辱戦」
 タトエとソレシカは拳を打ち合わせる。全員が技能を追加したが、加えてソレシカは武器まで新調した。
 荷物を検め終えたカクヤが立ち上がる。
「それじゃあいくぜ。無音の楽団、出発だ!」
 再び前奏が始まる。
 怪物退治のエンディングテーマは、凱旋の曲で締めくくられる。


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