傷を知らない手負いの獣

お借りしました。
 三冠夏さん(@moru0101


 かたとん、かたとん。
 人が少しだけ減った朝の電車の動きに合わせて志乃川古蝶の体が揺れた。つり革を片手でつかみ、空いている手で鞄を支えて前を見る。窓の外は瞬きする間もなく流れていき、「甘味屋天王寺」といったビルの看板から横断歩道を渡る小さな人たちへと移り、また都心の鋭角的な高層建築物へと変わっていく。
 快速に乗っていたが、目の前の人が都合良く下車した。周囲に老齢の人がいないのを確かめてから横一列六人掛けの座席に座る。
 そうしているあいだもずっと考えているのは、最近、見合いをしたある男性のことだった。
 三冠夏。
 初めはとっつきにくそうな硬い人だと思っていたのだけれど。
 古蝶がめげずに話をしていると、ゆで卵の殻がぱりぱりと剥がれるように笑みを見せてくれるようになっていた。浮かべられる笑顔も、どことなくぎこちないものではあったため、笑うということに慣れていなさそうだ。
 そういった様子の夏を見て、古蝶は思ってしまったのだ。
 なんて可愛らしい、不器用な人。とても真面目で真剣で、融通はきかなさそうだけれど相手を思いやることはできる。
 いいな、と。
 この人の隣ならいいなと古蝶は夏との見合いの席で自然と微笑むことができた。
 古蝶の家である志乃川を兄が継ぐことは決まっている。だから古蝶は、できるだけ志乃川家にとってためになる縁談に乗らなくてはならない。
 見合い結婚であることを嫌だと感じたことは無かった。下手な恋愛で身を焦がすよりも、相性のいい人とゆっくり絆を育む関係が向いている。
 だから、決して上から目線で相手を決めることはしないで、古蝶は三回の見合いに真摯に向き合った。そうして、三度目が夏だった。
 三は縁起の悪い数字を止めてくれる役割を持つ。そして夏の名字も、偶然かも知れないが「三」がつく。
 古蝶は両親に、初めてこの縁談に乗り気であると返事をした。両親も三冠家の家柄と夏の人柄を知って随分と喜んでくれた。
 ただ、それでも一つだけ気にかかることがある。
 古蝶は青い鞄の中を見る。小さな内ポケットの中には破れたのど飴が一つあった。バレンタインデーに、慌てながら差し出された夏の善意が嬉しかった。
 隣で桜之門鎮魂之太刀は肘をついて横目で見ていたが。
 夏の不器用な気遣いと同事に、見合いをした時に最初に言われた言葉が細い針となって古蝶の胸を刺し続けていた。
『俺は天照の刀遣いであるように育てられました』
『あら。私も刀遣いなんです』
『知っています。ですから、嫁となる人に求めるのは、たとえ俺が死んでも泣かない人であること』
 まだ出会ったばかりで頑なだったのだろうとは思うが、突然向けられた牽制の言葉に何を返すべきか、戸惑った。
 だから古蝶は言ったのだ。
『それは、違うのでは』
『何が』
 鋭い手負いの獣の瞳をしていた。己は血を流しながらも仲間だけは守りぬくことを決めた長の目だ。青い瞳が剣呑を宿す。
 それでも、言ってしまった。
『あなたを失って生きていけないと思う人は伴侶としてふさわしくないのでしょう。ですが、あなたのことを思って泣ける人も、きっと必要です。誰からも涙を流されない死なんて悲しいですから』
『一理は、ありますね』
 いま思い返すと余計なお世話だったかしら。
 古蝶は恥ずかしくなるのだが、たとえこのまま関係が途切れるとしても、夏の訃報を聞いたら涙する自信はあった。
「次は―――」
 気がつけば、降りるべき駅に到着していた。

 今日から下緒院に新しい人が異動してくる。
 とは聞いていたのだが。
 段ボール一箱だけを抱えて新たな仲間になったのは、古蝶の電車での思い人である三冠夏だった。
 朝のミーティングでそれを知ることになり、転校生を迎えた生徒の気持ちで、淡々と与えられたデスクに荷物を移していく夏の周囲を古蝶は三度通り過ぎそうになり、四度目には勇気を出した。
「お手伝いは必要ですか?」
「いや。大丈夫だ」
 言葉通りもうデスクに最後のファイルを入れ終えている。空になった段ボール箱を潰していた。無駄の無い動きだ。
 そのまま廃棄物の収集場所へ向かう夏の隣に並んで歩きだしてしまった。誰かに聞き耳を立てられずに話をするには、丁度良い。
 頭一つ分は上にある視線を眺めながら率直な感想を述べる。
「刀遣いとは聞いていましたが、こちらに来るとは思いもしませんでした」
「ただ刀を振るうだけでは意味が無いこともある。呪術や符について学ぶ必要を覚えただけだ。……あなたこそ、ここにいるなんて」
 言葉の端に拗ねた響きがあった。それになんだかおかしくなって、刀遣いとのしての夏のことを古蝶は知りたくなった。見合いの席ではただ刀遣いであることしか明かせなかったのだ。
「お互いもう手札を伏せるのはなしと言うことで。前はどちらにいたんです?」
「鯉朽隊だ」
「え」
「あと俺は壱段だぞ」
「ええ!?」
 古蝶が生きているあいだに絶対に到達できない領域に、目の前の男性はいた。古蝶が毎日を前線のサポートとして忙しくしているあいだに、夏はいくつもの戦線を駆け抜けてきたようだ。
「驚きすぎだろう」
 眉を寄せて苦笑される。その顔は、見合いの時に見た獣の長と変わらないが、下位の仲間を守る強さに溢れていた。
 戦うことができる人なのね。
「でしたら、今度、その強さの秘密を分けてもらいたいです」
「いや。それは止めたほうがいい。あなたは守られるからこそ、強くあれる人だろうから」
 真面目に断られて、落ち込めばいいのか認められたと誇ればいいのかまた反応に困ってしまう。自分が誰かを守れる強さには向いていないと物心ついた頃から承知しているが、守ってきた人に言われると胸に切なさの風が過ぎる。
 今度は古蝶が苦笑したことに気付いたのか、夏は言う。
 早口で言う。
「あなたは、泣ける強さを持っているのだろう」
「っ」
 不意討ちだった。
 あのときの見合いの言葉を前を向きながら、顔を見ないで言われたものだから、古蝶は自分の顔が赤くなりそうなのを必死に抑え込みながら、古普段のように澄ましてみせるしかない。せめてもの強がりだ。
「わかりました。それなら、下緒院では私が先輩なんですからね。これからびしばしいきますよ? 夏さん」
「ああ。望むところだ」
 段ボールを片手にまた爽やかに笑うものだから。
 古蝶は夏の目眩を覚えた時のように目を閉じた。

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