二人きりではいたくない 

 タイミングを合わせる関係では決してない。
 だが、いまソレシカとレクィエは二人しかいない談話室で煙草を吸っていた。ソレシカは重めの紙巻き煙草を、レクィエは水煙草を口の中で甘やかす。
 談話室は少なくとも六人は集まれるくらいの空間は取ってあるため、二人きりだと普段よりも静かに広く感じられる。重厚な木製のテーブルに着きながら、柔らかな青色のクッションが置かれた椅子の上で、一つだけ席を空けたまま座っているが、二人は積極的に会話はしない。
 煙草を吸う時が重なるのも、気管支の強くないサレトナとまだ子供のタトエに配慮をして、夜と深夜の合間しか口にできる時がないためだ。進んで二人で吸いたいわけではないが、遠慮をして時間をずらすと翌日に響く。
 レクィエは本音を言うのならば一人で落ちつきながら吸いたいのだが、同好の士と遭遇してしまったのが運の尽きで、不思議と場所と時間がかち合ってしまう。
 しかし、相手がカクヤやクレズニだったら特に気にしなかったはずだ。相手がソレシカだから一緒にいると少し気を張り詰めてしまう。
 レクィエは、ソレシカのことが苦手だからだ。
「クレズニと恋人になったんだって?」
 いまもふいに投げられた質問に、ぴりっとした苛立ちを覚える。
「その一歩手前。堅牢を誇る城も陥落寸前ってところだな」
 苛立ちは隠して答える。同時に、素直になりきれない愛しい人の面影が浮かんだ。
 あの朴念仁が他人を、それもレクィエを好きだと認めかけているなんて。考えるだけでにやけてしまう。
 この一年に少し足りないあいだ、クレズニを口説き落として絡め取るまでの苦労はかなりのものだった。だが、一度手に触れてしまえば、恋した相手は思っていたよりも脆く切ない存在だった。
 だからこそ傍にいたい。大切にしたい。
 レクィエは吸い口を離して、息を吐いてからまた水煙草をくわえる。甘い。細い薄青の容器を通してくすんだ甘さが口や鼻に広がっていくのは、癖になる感覚だ。
 ソレシカを見れば風呂上がりだからか、髪を普段よりも緩く結びながらけむたい重さを吸い込んで、吐き出していた。途中で手を添えて煙草を外す。いかめしいが長い指に白い筒を持っている姿は普段よりも大人びていた。
「おめでとうはまだ早いんだな。で、肝心なことをやってはいるのか?」
「ノーコメント。子供には刺激が強いからな」
 煙と一緒にさらりと流す。
 話題の相手はキスまでなら許してくれるようになった。いつも、唇が触れる前に目を閉ざして睫を震わせながら、捕食される寸前の動物みたいな動きをされることには興奮する。
 あの美しい造作を持って生まれた男は笑いたくなるくらいに不幸で、それなのに諦めが悪い。
 誉と嫉妬を自然と振りまく、吊られた青い瞳と青灰の潔癖さを表す切りそろえられた髪。背丈のわりに横幅は薄く、だがしなやかな体をしている。着込んだ服の上からだとよくわからないが、集団で入浴するときなどには目にするから知っていた。手は薄く骨張っている。
 それほどの美しさを持つというのに、クレズニという男は不幸だった。愛する妹を殺すように仕向けられ、その糸を断ち切る決断力もない。だが、細い足場の上で懸命な現状維持をしていた。妹を、サレトナを殺さずに守るという矛盾を続けてきた。
 他にもクレズニの不幸話は尽きないが、もっとも面白い点はやはり諦めの悪さだろう。
 クレズニはサレトナを己の悪魔の手から逃がすことを諦めていない。それだけのために生きていながら、幸福も手放さそうとしない。
 だから、同じ不遇の沼でもがくレクィエの手を取ってくれた。その強欲さに、レクィエは感謝している。
 愛している。
 クレズニのことを考えると、それだけで満ち足りた。
「恋はいいよな」
「知った口をきくんだな」
 満足の水で満たされた風船が割れて台無しになる。思いきり不快の水を被りながら、レクィエの口から出たのは意地悪な言葉だ。
 それなのにソレシカは不愉快を見せずに余裕を持って微笑む。見るたびに嫌いになる表情だった。
 餓えも渇きも知らないだろう贅沢な身分で恋を語られることが不愉快だ。
 角が立つからと直接は口にしない、自分の性分がまた嫌になる。幸福感も満足感も失せて、口にする水煙草の甘さも過ぎるくらいだ。
 ソレシカは戦闘では頼りになる、底抜けのお人好しな面もあるのを含めて、いい奴だとは思っている。だが、感情のどこかで受け入れられない。裕福な育ちが自分のみじめさをかきたてるのか、それとも秀麗な面立ちに加えて優雅な振る舞いなど、絵に描いたように恵まれている部分か、心当たりはそれなりにあるが、結論として気にくわない。
 ちょうど、吸い終わる。
 レクィエは水煙草の始末をしてから眠ることにした。気付いたソレシカだが、まだ口に煙草をくわえながら気楽に声をかけてくる。
「おやすみ」
「……おやすみ」
 談話室を出てから、暗く静まりかえった廊下を進んでいく。その闇の中にいるかのように、レクィエは胸の内を埋める抑えがたい感情の正体をいまだつかめずにいた。
 仲間であることに不満はない。友であるとも言えはする。
 それでも、屈託なく他の仲間たちのようにソレシカを受け入れられなかった。

 昨夜による苛立ちをひとつまみだけ引きずってはいるが、レクィエは機嫌良く街の広場にいた。ベンチに座って両手を前に組む。
 今日の用件はデートで、その相手は言うまでもなくクレズニだ。
 一週間前にレクィエが二人きりの時間を持ちかけると、照れこそ見せなかったが眉を寄せて悩まれたので、甘い言葉をいくつも使って最終的に落とした。呆れも見せたが笑って了承してくれたので、同意であるという判定を神も下すだろう。それがレクィエの希望的観測だとしても。
 慣れ親しんだ、孤独を友にして育った街を見る。灰色の雲が切れ目を作ってはいるが太陽は空の上から顔をのぞかせている。吹く風は冷ややかで、夏の終わりを告げていた。もう秋だ。
 春を捧げる宿の女性に声をかけられていたクレズニをレクィエがだまくらかして、一年が経とうとしている。過去を偲べば季節は瞬く間に過ぎていた。
 最初は自分の一時の居場所を確保できれば良いという考えで、純朴そうな一団を罠にはめたつもりだった。けれど、実際は自分からはまりに行ってしまったのだと苦笑してしまう。
 いまは何者にも代えられない存在になってしまったクレズニを始めに、カクヤも、サレトナも、タトエも、付け加えるならば一応ソレシカも、無音の楽団の全員を好きになってしまった。特定の誰かに執着するのは危険な感情だと割り切って、都度誰かと一時の関係を持つだけで事を済ませていたというのに、生まれて初めて妥協できない仲間たちができた。
 カクヤはたまに場にそぐわない呑気なことを言い出すが、仲間全員を率いるのに相応の力量と胆力を併せ持つリーダーで、もしカクヤがいなかったら無音の楽団は結成されたとしても、すぐに解散していただろう。
 そのカクヤに淡い想いを寄せるサレトナも、あえて悪を装うとするが、その黒い衣をまといきれていない。善良な存在なのだ。洩れ聞いた話だと育った環境が悪なだけで、本人は一点を除けば善良さと品を持って生きている。
 タトエは純粋で、無垢の強さがある。外見は十八才とは思えないほどいとけないが中身は一番成熟している可能性も秘めていた。軸を揺るがせずに、自己のためになることと、相手のためになることの分別を持って行動できる時点で尊敬できる。
 そうして恋うている相手のクレズニは、真面目だ。本人もその特性を自覚しているだろうし同時に美点でもあるのだが、傍にいると不安になる。見えない規律が糸となり、その糸によって自分の首を絞めているのに止めないのが、本人ではないのに悔しさを感じさせる。どこまで耐え忍べば救いがあるというのか、もしくは救いを求めているのかすら不明な点が、糸を断ち切りたくなるのだ。だけど、クレズニの糸は自重でもあるだろうから切れない。それが、悔しい。
 せめて隣に座ってやることで、今日のような時間を過ごすことで解放してやれたら良いのだが。難しいところだ。
 そこまで考えて、最後の中まであるソレシカが浮かんだ。引きずられるように、心中に重苦しい暗雲が立ちこめる。
 認めてはいるのに、どうして素直に受け入れられないのだろう。
 いい奴だ。分かっている。分かっているからこそ腹立たしい。そんな謎の循環が生まれてしまって、うまく言葉にできない。
 いままでは何事も整理してきたというのに。
 ソレシカだけが割り切れないというのも、疑問であると同時に、一種特別な存在であるようで恨めしかった。
 気持ちを浮かれたものに切り替えることにする。そうだ。今日はデートだ。
 一緒に宿を出れば済むというのに、わざわざ付き合いたての初々しい恋人のように、広場で待ち合わせをして相手を待つまでの時間を楽しむなんてことをする程度には、浮かれているのだ。
 また、風が吹く。飛ばされそうになる帽子を被り直したところで、前を向くと周囲を見渡しているクレズニがいた。
 自分を捜していて視線をさまよわせる恋人の姿は妙にそそられる。抱きついたらおかしな声を上げてくれるのではないか、というある種の無防備さが原因だろう。
 レクィエはベンチから立ち上がって、気配を消しながらクレズニの後ろに回ると肩を叩いた。急に現れたにも関わらず、驚かせようとした相手からその気配はない。
「待たせた?」
「いえ。私が遅くなったのでしょう。あなたが待ったのでしょう。でもそうするくらいなら一緒に宿を出たら良かったじゃありませんか」
「あんたとデート気分を味わいたかった」
 素直に告白する。ぱちくりと目を丸くしながら、恥ずかしそうに微笑まれた。眩しい太陽や光を見上げるように目を細められる資格など、ありはしないのに。
「そうですね。私たちは、デートをするんですね」
 かわいい。
 改めて言い直すところが、噛みしめているようでかわいくていますぐにでも抱きしめたくなるほどだが、怒られるのは目に見えている。
 レクィエとクレズニは歩きだすことにした。
 とはいえど、目新しいものはさほどなく、いつもの店でスキルやアイテムの活用法を考えるのが主という学習的なデートになってしまった。
 いまは聖北教会で信者の席に座りながら目録を見ているクレズニに、尋ねる。
「次はどういうスキルが欲しいの」
「能力向上か、非実体にも効果のある全体攻撃ですね。そろそろ敵も生半可な攻撃、それ自体を受け付けませんから」
「俺はもう少し戦術とか、技の噛みあわせを広げてから攻撃方法を考え直してもいい気がするけどな。あと防具とか。俺たちは耐久性と回避がなさ過ぎるんだよ」
 クレズニは正攻法で攻める気でいたのか、隣で肩に腕を回しているレクィエの意見を聞いて、目録をめくる手を止めた。
 無音の楽団は速攻で高火力の攻撃を敵に撃ち込むことが多かったが、それが通じないまま一旦は諦めるしかない依頼が増えてきている。ならば、次に必要なのは搦め手だろう。相手の攻撃を封じて、好機を待つ。その戦術、または全体の戦略を広げられたら、解決しそうなところも多々あるのが見立てだ。
 何よりも、全滅するのを見るのが嫌なのだ。
 最後のは秘したが、それ以外の意見を聞いていたクレズニは、手にしている目録を閉じた。「そうですね。新しい店や街の情報を仕入れて、全体を見直す時機ですね。ありがとうございます、盗賊さん」
「いいや。金策は任せるよ、会計さん」
 目を合わせてくすりと笑う。クレズニが目録を返却し、そのまま聖北教会を出ていった。改めて歩くが、他の街に比べて。
「遊べる場所は少ないよな」
「どういった遊びですか」
 問いには不満が混じっていた。
 まだ陽が高く、建物も壁の色を濃く照らされている。広場を横切って裏通りのある薄暗い方向へ進みながら、レクィエは気楽に返した。
「女遊びとかじゃないから妬くなって」
「妬きません」
 そう断言されると少し寂しかった。だが、語尾が上がっているので言葉通りとは限らないのだろう。
 今日も表向きは平和な、街を歩く。
 無音の楽団に入る前は特に何も思わずに、惰性と死にたくない本能だけで足を動かしていた。今日を生きる術を、明日をしのぐ方法ばかり見つめるために地面へ目をやっていた。
 だけど、仲間やクレズニがレクィエを変えた。
 その有様を見られたときは「腑抜けた」と以前の同業者に嘆かれたが、こちらがいいと自分で選んだ道だ。
 一片の後悔もない。
 いまだって、恋人候補の相手が隣にいてくれる。さらに候補、の字が取れたらいまの環境の欲張り加減にそれこそ怖くなるはずだ。
「レクィエは食事は済ませましたよね?」
「ああ」
 屋根の高くない建物の先に、見えた看板に書かれている「休憩」の二文字。
 レクィエは気付かれないように小さく笑う。愛しい相手を、泉に突き落としてつけこめるチャンスが訪れたらしい。それは女神の前髪ほどしかないので見逃すわけにはいかなかった。「食事じゃないけれど休憩していかないか? 悪くない場所があるみたいだ」
「まだそこまで歩いてはいませんよ」
「おねがい」
 ね、と前に回って首をかしげた。 
 人通りが少なくなり、いまはクレズニとレクィエの姿しか道に見られないことと、珍しい甘え方をされたことから、クレズニはすでに分かっているだろう。ろくなお願いではないということを。
 だが、クレズニは折れた。
「わかりました。で、どちらへ?」
「ここ」
 路地を十五歩ほど進んだ先に見える暗色の紫で彩られた館を示す。三階建ての縦長の菓子の箱じみた建物の上に黒い屋根が乗せられているその館は、人が常の居住をしているのではなく、一時の色どられた安らぎを提供することが目的である。古びてはいるが清潔な壁に沿って生育しているいる蔦からも仮宿の雰囲気が漂っていた。
 それを見たクレズニは、軽い侮りの眼差しと共に言う。
「性的なことはしない主義なんです」
「雰囲気を味わうだけでいいからさ。わりと隠れた名店らしいぜ。品揃えも悪くない」
 レクィエが歩きだすとクレズニも間を置いてから後を着いてきた。すで道に人通りはなく、生物の気配も溶けた分け前にありつく小動物か、訪れては羽ばたいていく鳥といったところだ。
 館の前につき、黒塗りの門を押してから扉をくぐって中に入る。
 ホールが半円状に広がっていて、左側にはクローゼットが二つと四人がけのテーブルが二つ、右には階段がある。
 中心のカウンターには目を閉じた妙齢の女性が座っていて、客の気配を悟ると微笑みかけた。
「お客様? こんなお昼から何をお望みですか?」
「夢を分けてもらいたい。割が高くてもいいから、清潔な部屋を頼む」
「でしたら最上階のこちらのお部屋で甘い夢をお楽しみください。相場は」
 カウンターの上の紙を滑らせて料金表が提示される。思っていたよりも悪くない。良心というものはこんなところにも眠っているのか、それとも今後とも贔屓にしてもらうための初心者のための価格か。
 後者だと判断し、文句をつけずに二割のチップをはずませてレクィエは自身の財布から全額支払った。無音の楽団の仲間に対する報酬の割り振りも平等なのと、特性と特技から個人で多様な依頼を受けるため、皮の財布は常に潤うようになった。
「行こう」
 後ろに立ちながら、店内を見渡していたクレズニの腕を引いて絡めとった。「いきなりどうして」と抗議の視線を向けられるのだが、視線の成分は苛立ちよりも恥ずかしさが強い。こんなところまできて恥じらうこともないだろうと笑いたくなるのだが、それがクレズニの潔癖さなのだから好ましい。
 女性の店主は「ごゆっくりお楽しみください」と見送ってくれた。
 階段を昇る。渡された鍵にあるとおりの、三階の右端にある部屋に入った。
 内装は外装に比べて明るい。壁紙は館と同じ紫であるが、こちらは実ったばかりの葡萄を連想させる赤紫で彩られている。天上には橙色の照明と、家具は横長の机、椅子、クローゼトに二人で眠るのに十分な白のベッドが揃っている。色好みの客に限らず、迷い込んだ旅人を保護する役割も担っていそうだ。
 レクィエが真っ直ぐにクローゼットに近づいていくと、クレズニは椅子に座って落ちつこうとしている。横目で見ながらその緊張した様子に笑ってしまった。
 春をひさぐ宿の女性の誘いを真剣に信じるような男だからこそ、自分から好色のための施設に足を踏み入れたことなど無いのだろう。まさに、鍋を背負ってやってきた鳩だ。
 誘い込んだ自分が嘲笑できることではないが、あと一匙くらいは危機察知できる勘がないと本当に煮て焼かれて食われてしまう。そうならないためにも今回は良い授業にしなくては、と都合よく考える。
 当然払われる授業料は桃の中に秘められた蜜のように甘い時間なのだが。
 レクィエはクローゼットを開けて服を適当に選んでいく。ベッドに放り投げた。
「好きなのどーぞ」
「却下」
「せっかくの機会と、俺の四百枚の銀貨を無駄にすることはないだろう。ここは、いわゆる衣装の着せ替えを楽しめる宿。変装の勉強にもなるんじゃないか? あんたはそういうの苦手だろう」
 レクィエも前を通りかかることだけは何度もあった、この建物は衣装宿「赤葡萄の酩酊」という。情交の場所の提供を目的とするのではなく普段とは異なる自分に変わることを楽しむための宿だ。
 そこで、クレズニが何の服を着るのかは強い興味があった。取りだした服は女性のものばかりだが、丈は男性に合わせられている。つまりはクレズニの女装が見たい。もとから繊細な女性的な顔立ちをしているためよく似合うことだろう。
 とはいえこれまでそんな趣向を相手に押しつけることはなかった。レクィエはすでに貞操を失った身分で一定のあいだ長続きした恋人もおらず、相手から求められるのを受けられる場合のみ受けていた。だから、特殊な状況下での行為はされたことはあってもしたことはない。
 いままでは望む相手を「奇特な奴らだ」と胸の内で笑っていたのだが、実際に自分が有利な攻めの立場に立つと分かる。
 相手が弱る姿を、羞恥に苛まれる姿を見てみたい。美しいものならばなおさらだ。
 レクィエが服の谷を探るあいだ、クレズニは沈黙を続けている。間違えた虎口に入ってしまったが、今更抜け出すこともできない。
「俺としてはクレズニ、クラシカルなメイドさんとかいいなーって」
「あなたが着たならいいですよ」
「言ったな。後悔するなよ?」
 レクィエは口を片方だけ吊り上げてにやりと笑った。
 大衆の前で歩けと言われたら流石に否だが、クレズニと二人きりならばためらいはない。するすると、ジャケットと中に着ていた薄いシャツを脱いでいく。たくましくはないが貧弱でもない、細く締まった筋肉をクレズニの前にさらしながら、メイド服の上に袖を通す。あとはズボンも脱げば、膝下の丈のメイド服を着たレクィエが仕上がった。
 流れるように着換えた。その光景をクレズニといえば淡々と眺めていたのだが、胸を張るとこめかみを押さえ出す。
「似合うのが嫌味ですね」
「ありがとうさん。で、クレズニは何を着るんだ? メイドさん、それとも大胆に兎さん?」
 約束を違える気はないのだろう。
 クレズニは立ち上がる。そのまま、レクィエが選んだ服の小山を探っていった。一枚ずつ手にしては、眉を寄せていきながらも丁寧にたたんでいく。あるいはクローゼットにつるすために戻していく。
「着換える最中は見ないでくださいよ」
「やだ。普段からたまに見てるのに今更いいだろう。変な節約するなよ、もったいない」
「意味が分かりませんよ」
 クレズニは大きく息を吐き、上着のファスナーを下ろしていった。そうするとインナー越しだが余分な肉のない細い体が見えるようになる。ベッドに腰を下ろして、ブーツも脱いでいく。少しずつ足が抜かれていき、黒い靴下が見えるのは慎ましやかで、躊躇いがちな動きが情欲をそそる。その様をレクィエはクレズニと交代して座った椅子の上から瞬きをせずに眺めていき、自分を宥める。
 クレズニはインナーと靴下だけの状態になり、まずは黒いワンピースを広げて自分の身を落下させる。そうして横のファスナーを上まで上げてから、垂れた襟といった装飾などをつけていった。
 それで終わりとばかりに両腕を広げられる。
「シスターか」
「はい」
「綺麗すぎてえっち」
 率直に感想を述べると、クレズニは呆れた顔をまた浮かべた。
 シスターは神に仕える神聖な女性の役割を背負っている。だが、神に望まぬ苦難を強いられているクレズニがそういった意味の衣装に身を任せているというのは、形だけでも神に膝を着いているようで背徳的な美しさがあった。
 レクィエはしばらく眺めてから、ベッドに向かって背中を押す。慣れているのか抵抗をしないで、クレズニもベッドに横たわった。そのときに乱れる、黒色の裾がまた情欲を誘ってくる。
 上にのしかかり、短い青灰の髪を通して耳をくすぐる。その感触に震える姿に笑いながら、尋ねた。
「どうしてそれにしたの?」
「着方が分かるものがこちらぐらいでしたので。他の服を着るときに間違えて破いてしまったら大変ですから」
「まあ確かにな」
 誰でも着られるように簡略化はしてあるだろうが、それでも安全なものと見慣れている服を選んだようだ。東方の衣装などもクレズニの細い首筋や肩などによく映えるだろうが、装飾が細かく複雑であるため選択から外したのだろう。
 今度は簡単なの買って着せてやろ。決めた。
 女装したまま、レクィエは触れるたびに身じろぎして逃げるクレズニを追いかける。首筋に唇を寄せて、痕はつかない。その程度の強さで触れたり、顎の下をくすくすとなぞった。慣れない行為に、甘やかしに湿った吐息が口からこぼれて、クレズニは唇を噛む。
「ひあ!」
 レクィエが耳にゆるく歯を立てると、小さな悲鳴が上がった。噛まれた本人は目の端を赤くする。泣きそうだ。だが、泣かない。にらみつけて、噛まれた耳を押さえている。
 ここまでさせておいて、まだ恋人の座に座らせてくれないのも相当な意地悪だ。早く隣に座りたい。相手が自分のものであると、自分が相手のものであるという確認が欲しい。
 幾度となくねだってはいるのだが、クレズニはまだ許してくれない。その理由はサレトナにあることだけは分かっていた。
 サレトナ。クレズニとの仲は悪いが、誰よりも愛されている少女だ。
 クレズニは神の遺言によりサレトナを殺さなくてはならない呪いを負っているため、自分が幸せになることについてためらいがちなところがある。いまだって、嬉しさや喜びはあるのだろうが、少女の影がかすめているのだろう。
 だからレクィエはクレズニが決着をつけて解放されるのを待つしかなかった。どうにかしたいとも思うが、クレズニとサレトナとカクヤの問題なので、どうにもできない。
 せめていまを楽しむことにした。
 レクィエがクレズニに唇を落としていると、尋ねられる。
「男同士で女装して楽しいんですか?」
「俺はわりと悪くないよ。敬虔なるシスター。レクィエにお命じになられたら何でも致しますよ?」
 あんたの解放だって、あがいてやるというのに。
「お断りします。後が怖いので」
「もう!」
 裏声をだしながら、レクィエはクレズニに触れる。胸の真ん中を人差し指で流れるようにすうっと伝い、そのまま腰に触れながら、膝で太ももや付け根など、弱いところを刺激する。体を強ばらせはする。経験の少ない快楽に、身を預けながら、声が上がる。
 レクィエだけが聞ける。
「そう、いえば。ん」
「なに?」
「ソレシカと喧嘩でも、あ。したの、ですか?」
「まさか!」
 面白くない名前が出てきた。レクィエはクレズニの首を片方だけ絞める。緩く、弱く、噛みつくように触れた。
 呼吸を遮られながらも苛立ちが分かったのか、初めて手を伸ばされた。クレズニの手がレクィエの頬に触れる。
「あなたはソレシカが好きではないみたい、ですから。なに、かあるとは、思っていましたが」
「よっく見てるな」
「好きな相手のことだから」
 敬語が取れた。そろそろ、愛する相手に触れているという心地よさで朦朧となってきたのだろう。
 クレズニは誰にたいしても敬語で丁寧だが、レクィエが愛撫を繰り返していくと、徐々に理性の皮が剥ぎ取られていく。そうして現れるのが、まだ純粋さを残した青年だ。
 吊られた瞳の厳しさが溶けて優しさが交じるその表情が、レクィエには愛おしい。
「仲良くなんて言えないけれど、大切にはしてあげてほしい。それが、私のお願いだよ」
「努力します」
 そうとしか答えられないため、レクィエはクレズニの唇を今度こそ自分の唇でふさいだ。
 長い触れあいだった。柔らかな粘膜をこすりつけあい、離した時は銀色の糸が二つの唇を長くつないでいた。
 断ち切るのが惜しい糸だった。

 二人きりの外出を終えたときに、他の仲間たちは夕食を済ませていた。
 クレズニとレクィエも二人だけで宿から出される食事を食べ終えると、片付けに入る。沈黙の楽器亭では最後に食べた者がテーブルを拭いたり廃棄物を片付けることになっていた。
「いやー今日は楽しかった」
「私はもう行きませんからね。行くのなら」
「他の奴らと行ってもいいの? 俺一人で行くのは寂しいから、誰か誘うかもな」
 テーブルを固く絞った布で拭いていた手が止まる。
「あまり、意地悪をしないでください。私がそういうことしか言えないのを、知っているくせに」
 口からこぼれたのは寂しい響きの言葉だ。素直に「自分以外を見ないで」とは言えないため、せめて服の端をつかむような縋り方をする。
 控えめな主張がまた嗜虐心を刺激する。
「あんた、すごくかわいいな」
「やめてください」
 顔を近づけているあいだに扉が開く音がする。
 入ってきたのはソレシカで、顔を染めているクレズニを見たことにより状況を察したのか、片手を振って背を向ける。
「ごちそうさま。邪魔したな」
 些細な言葉だ。
 悪気の無い言葉だ。
 だが、レクィエはいままでの戯れを全て吹き飛ばす怒りに支配された。
「嫌味か」
 クレズニは察する。怒ったことが分かって止めようとするが、ソレシカは気付かないまま振り向く。言葉の風を強く起こして、怒りの炎を煽った。
「変なつっかかり方するなよ。純粋な感想だ」
「なら放っておいてくれ」
「はい、そうするよ」
 後から思い返しても、そのときの怒りはまだ自制できる範囲だった。
 だけど、目が。
 そのときに向けられた赤い目を嘲弄と読み取ったことが、きっかけだった。
「いい加減にしてくれ!」
「レクィエ」
「自分が口説く勇気の無いのを棚に上げて、俺を羨んでいるのかは知らないが、そう言いがかりをつけてくるな」
 制御も何もなかった。止めるために伸ばされたクレズニの手すら振り払い、レクィエは自身より高いところにあるソレシカの目を強くぎらついた目で見返した。
 腹が立ってしかたない。
 以前から苦手意識、本音を言うのならば嫌いなところはあったが、今回は一番だ。一番腹が立った。
 ソレシカがタトエをうまく口説けていないためにレクィエに嫉妬をしているなんてことは、冷静に考えたらないと分かる。そんなことをひがむほど狭量な男ではない。
 それでも、いまレクィエは苛立っていた。
 反対にソレシカは落ちついたまま、腕を組んで言う。
「前から感じてはいたけど。レクィエ。お前、俺のことが嫌いだろ」
 知った口を。叩くから。
「ああ、嫌いだよ!」
 そうだ。もとから嫌いだった。
 他人を信じて馬鹿を見ても失われない正直さも、他人に対して当たり前に手を差し伸べられる余裕も、美徳だろうが全てが気にくわない。
 特に苛立つのは、いまのような瞬間だ。
 ソレシカはタトエが好きなのに必死にならない。レクィエがクレズニを手に入れたいと、滑稽な努力を続けているあいだもただ笑っている。
 タトエが隣にいるだけで幸せでいる。そのときの、優しい眼差しと落ち着きがまた嫌いだった。
 レクィエはソレシカをにらみつける。
 見下ろしていたソレシカが笑ったときに、殴り合いが始まった。レクィエの拳がソレシカの腹を直撃する。
 ソレシカもレクィエに対し、拳を振り上げた。重い一撃が顔に当たった。
「やめなさい! 二人とも、落ちつきなさい!」
 クレズニはすぐ静止に入ったが、互いに冷静さを取り戻すまで結構な時間が必要になった。

 翌日の朝に、レクィエとタトエなどは馴染みの喫茶店にいた。開店したばかりで客はあと一組しかいない。喫茶店のマスターも繊細な話をしているのを察してか、一番奥の席に座れるように気を配ってくれていた。
 長椅子の背もたれに寄りかかるレクィエの頬には湿布が貼られている。目元も痣になっていた。いまもまだ鈍く痛む。
「ソレシカがごめんなさい」
 頭を下げるのはタトエだった。深々と、テーブルに額がつきそうなほど深く下げている。
「いや。俺から始めたことだから、こちらこそ悪かった。気にしないでくれ」
 今回の件に関係の無いタトエに謝られても困るのだが、本人はそうとは考えなかったようだ。ソレシカに庇護される者としてか、また保護者としてか、二人の喧嘩に責任を感じている。
 もとから、レクィエがソレシカを快く思っていないことに気付いていたため、殴り合いに発展する前に止められなかったことを後悔している面もありそうだ。
 頼んだ紅茶とコーヒーが届くまで、待つ。
 沈黙が続いたが、終わらせたのはタトエだった。
「どうしてレクィエがそんなに怒ったのか聞いてもいい?」
「その前に確認しておきたいんだが。タトエはあいつの保護者としてきたんじゃないよな」
「まさか。そんなわけないじゃない」
 少しだけほっとするが、ソレシカの言われようにわずかだが同情した。
 紅茶とコーヒーが置かれる。タトエは隣にカップを置きながら、もう一つを口にした。熱い液体をこくりと飲み込んでから、言う。
「僕は仲間の喧嘩を止めたいだけ。さらに言うのなら、ソレシカとレクィエには仲間でいてもらいたいだけ。このままぎくしゃくして喧嘩別れなんていやなんだ」
 無音の楽団の星とされる、タトエに相応しい役割だった。砂粒ほどの明かりの差さない闇に落ちても、自身を光に変えて道を照らす。
 その道が正しいのか、間違っているのかは不明だが、歩きだす勇気をくれる。
「ソレシカはなんだかなあ。と思うところもたくさんあるけど、僕は好きだから。レクィエにまで好きになってと強要する気はないけれど、喧嘩されるのは寂しいよ」
「優しいな」
「お節介なだけ」
 にっこりと笑うタトエの強さはレクィエにはないところだ。純真で、真っ直ぐで、慈愛に満ちている。
 ソレシカが、惚れたところなのだろう。
 レクィエもコーヒーに口をつけると心を落ちつかせる。苦い液体を、親しんだ味で喉を潤した。
 話を始める。タトエに、どうしてソレシカが気にくわないのかを、正直に話す。
「俺はソレシカに嫉妬してたんだよ」
「あれに?」
 暗に意外だというニュアンスがふくまれていたのが、おかしくて笑う。
「あれに。だってあいつはいいとこの生まれで、容姿もいいし戦闘では強い。欲しいわけではないけれど、俺に欠けているものを自覚しないで持っている。それに、うらやましさや妬みがなかったわけじゃない」
 一息で話すのをタトエは黙って聞いている。
「でもそれは、俺の抱えている劣等感だから、ソレシカとはうまくやりたいとも考えていたし、できると思っていた」
「だけど一つ、間違えてたんだね」
「ああ」
 これだけで察してくれる勘の良さがありがたい。
 一つだけの誤算であり、思考を狂わせる間違いがある。
 クレズニ。彼を愛してしまったことだ。
 そのことに後悔はないけれどたまに考えてしまうのだ。自分よりもクレズニの隣に相応しくあれる男の、見本がいることに。堂々とした振る舞い、気後れしないでいられる身分、何よりも自然に笑わせられるということ。
 ソレシカとクレズニが二人でいるのを見かけると不安になり、クレズニがソレシカに感心を見せる瞬間には焦るようになった。ありえない過程なのは分かっているのだが、このままクレズニの手がソレシカに伸ばされたらどうしたらよいのだと。
 ソレシカはタトエを好きだとしても。クレズニが惹かれないとは限らない。
 そのクレズニの傍らに自分は立てるだろうか。
 タトエは全てを聞いた。
「ごめんね。いつも頼ってばっかりで」
 開けられた窓から入る風に消されない声だった。
「頼られるのは好きだよ」
「うん。あとね、クレズニが一番安心できる相手はレクィエなんだよ。それは、ふさわしいとかそういうこと以上に大切なことで、忘れたらいけないんだ」
「だといいけどな」
 弱気が口から出てしまう。
 いつからだろう。こんなにも、誰かを愛して不安になるようになったのは。いままではそんなことなかった。都合の良い、鼠に食われた壁に栓をするのに必要な板のような、棚に箔をつけるためだけに飾られる本のような存在だと自身を諦めていた。
 だけどクレズニは言ったのだ。現在だけの幸福に甘んじるなと。未来を願って生きてくれと。
 そして、レクィエのことを知りたいと手を伸ばしてくれた。
 レクィエに価値を持って伸ばされた手の冷えた感覚が、いまも愛おしいために自分は怯えている。
「ねえ、レクィエ。クレズニの本当の身分はソレシカくらいと駄目なのかも知れない。だとしても、クレズニの心が求めているのはレクィエなんでしょう? 確かめたんでしょう? だったら、そんな鎖なんて壊してかっさらうくらいのつもりでいなよ! クレズニが好きなんでしょう!」
「う、ん」
 勢いにたじろいでしまう。
 タトエは前のめりになった体を戻して、また紅茶を口に運ぶ。ソーサーに戻した。
「ソレシカもね、悩まない人だけど。むしろそれは悩めないから悩まないんだよ。何があったのかは知らないし、話してもくれないけれど」
 頷く。
 ソレシカは単純なようだが、その割り切り方はカクヤの計算とは違って思考に制限をかけている部分がある。その理由を知らないのだが、タトエは話した。
 過去のソレシカの身に起きた、教育という名前の虐待を。
「ソレシカの明るさは本物だけれど、影も濃い。だから、僕はせめてその影が他人に及ばないようにしたい。今回はレクィエに迷惑をかけちゃったけどね」
「そんなことないよ」
 柔らかく否定をしながら、いま、不思議と心は凪いでいた。
 比べることなんて最初からなかった。くだらないことに、心が絡め取られてしまっただけなんだ。
 ソレシカにも深く鋭い傷がある。だが、気付かせずに生きていることも十分な強さであることを、認められなかった。
「タトエ、いまなら言えそうだ」
「うん」
「ソレシカの強さが嫌いだよ。でも、うらやましくもある。それくらいには俺もソレシカが好きだ」
 言葉にすると清々しかった。
 タトエも楽しそうに笑いながら、言う。
「だって。ソレシカ」
 いままで左隣のテーブルに座っていたソレシカが、話の段落が落ちついたのを察して撃つってくる。そうしてタトエの隣にある口のつけられていないコーヒーを手にした。
「俺は別にレクィエのことそんなに気にしていないし」
「なら結構。で、お前は俺に言いたいことはないのか? 吐き出しとけよ。すっきりしたい」
「んー。レクィエが仲間想いだから、タトエばかりの俺が嫌いだとは想っていたけど。全然違ってたんだな」
「ああ。もっと、お前個人を見ていたよ」
 ソレシカが一人、タトエだけに執着をするのは特段見ていて何も思わなかった。ただ、ソレシカのあり方に苛立っていた。
「俺を見てもらえていたのがわりと嬉しいし。それに、俺たちは六人で仲間だろ?」
 当たり前のことを口にする。
「そうだな。俺たちは、仲間だ」
 これでようやく普通に喧嘩をできるようになるくらいには。
 初めて二人で向き合いながら笑う。
 レクィエとソレシカを見つめるタトエもまた、笑顔だ。


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