ロストウェルスの地は汚さない

 夢を見た。
 幸薄いことに眠りの深くない少女は目覚める直前によく夢を見る。だが、その内容を今日はよく覚えていない。心は童心に返り、兄が出てきたことだけはかろうじて覚えている。その程度だ。
 少女、サレトナは慣れ親しんでしまった沈黙の楽器亭の自室にあるベッドの上でぼうとする。時計を見るといつもの起床時間を大幅にずれていた。
 誰かを待たせているわけではないが、あまり自堕落な生活を送るのも気持ちが悪いので着換えて食堂に向かうことにした。
 これまでのシンプルな造りをしていた薄緑のワンピースから、限界まで自身を成長させたことを記念して、新しく仕立てた服に着替える。腰に着けられた花飾りがお気に入りだ。
 鏡で髪の寝癖を直して、肌の手入れと軽い化粧をしてから部屋を出た。どこも静まりかえっていて、すでにいないことがわかる。サレトナは朝早いのだが、時計の時間を見た限り、他の仲間は今日は先に起きてどこかに行ってしまっているのだろう。
 一階に降りる。食堂に入ると、誰もいないと思っていたが見慣れた横顔だけが残っていた。意外に思う。
「おはよう、兄さん」
「おはよう。サレトナ」
 落ちついて声をかけられて、サレトナはいつも兄と対峙するときの緊張がほぐれていくのを感じた。今日見た夢のおかげもあるのかもしれないが、犬猿の仲とはいえ兄と喧嘩をしないで済むのは喜ばしい。クレズニの言葉の端にも普段なら潜ませている棘がない。
 サレトナはテーブルの上に、食事の載せられたワンプレートとメモを見つけた。メモはカクヤの字だった。サレトナを心配する言葉と、休養してくれという内容で口元がほころんでしまう。
 ワンプレートの上に乗せられた蓋を横にずらして、果実の練り込まれたパン、サラダとかりかりに焼かれたベーコンという食事を目にする。少し冷めてはいるが美味しそうだ。厨房に行くと、スープもあった。温め直してカップにすくう。
 そのあいだもクレズニは静かに読書をしていた。
 もしかしたら、サレトナを待っていたのかも知れない。だとしたら用件は何か。またいつものお説教か、それとも最近になって少しずつ触れるようになった過去についてなのか。気になりはしたが、お腹がくぅと鳴る前に食事を摂ることにした。
 スープを片手にテーブルに戻る。
 食べる前に必要な祈りを捧げた。
「今日の恵みを神に感謝します」
 音を立てずに食器を使い、スープから空にしていく。玉ねぎの甘みと調味料の塩気が混じり合ってお互いを引き出してくれる。体が温まっていくのを感じながら、サラダに手を伸ばした。まだ新鮮でしゃっきりとしている。かじると小気味よい音がした。
「カクヤの作った食事は美味しいですか」
 唐突な質問だったが、淡々と返事をする。
「当然。でも、今日の当番はカクヤだったの?」
「そうですよ。明日はソレシカとレクィエなので少し心配ですが、そちらはまあ置いておきましょう。サレトナ。カクヤは、あなたにとって大切ですか」
 また前置きのない質問だ。クレズニらしくない。そこに、ある種の関心を読み取って今度は緊張した。
 サレトナは考える。
 兄さんは私とカクヤの関係や、私からのカクヤへの想いも知っているはずだ。喧伝しているわけでもないが隠しているわけでもない。タトエからも「外から見ていても鈍感な人以外ならよくわかる」と言われてしまってる。
 それなのに、どうしていま尋ねてくるのだろう。
 予想するとしたら、一つ目はカクヤが兄さんに協力するように働きかけた。でも、二人がそんなまだるっこしい方法で攻めてくるとは思えない。特にカクヤは好きならば、率直に思いを伝えてくる人だ。搦め手を使わない。
 二つ目は兄さんは私のカクヤへの想いを見定めようとしている。それは、どうしてが先に浮かぶ。私とカクヤがもし、結ばれたらどうなるか。
 兄さんにとって都合が悪いとしたら。
 そこに至り、サレトナは久しぶりに自分の生まれについて意識した。
 サレトナはいまは冒険者をしているが、本来は貴族の娘だ。代々と言えるほどの歴史はない家だが、一人の先祖が莫大な資産を得て爵位を買った。それは、ある特殊な力の隠れ蓑とも言われている。
 特殊な力とは神との交わりだ。性的な意味ではなく、神と意思の疎通を果たすことができる。上手く利用すれば神職にすら至れる力ではあるが、意思を図っている神がどういった種類なのかが定かではないため、極力表には出さないようにしてきた。
 それほど神とのやりとりは危険なことだ。
 幸いなのか、神と意思の交信ができるのは女性に限られていたのと、クレズニは継承順位が低いためある一点を除けば家とのしがらみは少ない。
 ただ、唯一クレズニも縛られていることがある。
「サレトナ」
 そう。
「あなたは呪われています。私と共に」
「知っているわ」
 クレズニが望んで神の鎖に繋がれているのは、サレトナがいるからだ。
 サレトナは意のままに扱えるほど神とやりとりができるわけではないが、まぎれもなく神と称される存在へ近づくことができた。それが露見してからの叔父による迫害と反して叔母の援護、父と母の葛藤を見てきた。
 だからサレトナは事情を伝えてはいるが、出奔という形を取らされて家を出た。だけれどいつかは戻って決着をつけなくてはならないことだった。
 そうしないと、無音の楽団という自由の風に吹いていられない。
「そう。あなたは呪われていることを知っている。ですが、どうして呪われたかは知らないでしょう」
「そうね」
 クレズニは本を閉じて机の上に置き、一度目を伏せてからゆっくりと話し出す。
 まず、サレトナが幼い頃に力を顕現させてしまったときに幽閉される事件が起きた。鞭であったクレズニはサレトナを助け出したい。それだけの一心で、呪いを拾うことになった。とはいえ呪いをかけた神は悪神ではない。サレトナを哀れんだだけだと、クレズニも理解している。
 全ては偶然だ。
 サレトナ達の故郷であるロストウェルスの血。そこに住まう神とやりとりのできたサレトナと、そのサレトナを通じて世界が見えたからこそ哀しんだ神と、神の力を誤って使ってしまったクレズニ。その三本の糸が絡み合って呪いとなってしまった。
 それは呪いなのか、ただの繋がりなのかも不明だ。
 だけどクレズニはずっと悔いていた。自分があのとき、サレトナを助けにいかなければ今日までの事態は起こらなかったのではないか。サレトナを追い詰めてしまったのは、結果として自分ではないのか。
「だから、責めていいよ。サレトナ」
 穏やかに締めくくる兄に腹が立つ。サレトナだって故郷を愛していた。貴族として守るべき故郷を、土地を追われてしまったことに何度も苦しみ、申し訳なさを抱いたか。たとえ困難を抱えていたとしても、その土地に住まう人たちには関係ない。サレトナはロストウェルスの一員として守り切らねばならなかった。だけれど、いまは関わることすら許されていない。
 それでも。
「責めないわよ」
 サレトナは言いきる。
 もう、自分は旅の始まりの頃のように兄に理不尽を押しつけるだけの妹ではない。目をそらしてきた兄を、見つめざるをえない瞬間を何度も繰り返して、クレズニも苦しんでいることが伝わってきた。それも自分を哀れんでのことではない。
 サレトナへの悔悟がクレズニを縛り、生かしてきた。
「兄さんが精一杯、義務だけを果たしてくれていたのを私は知っているから。私のことを考えて、この命を奪うことを課しながらも、ためらってくれていたことを私はもう知っているから。だから、兄さんを責めない」
「サレトナとクレズニは他の仲間のように、ソレシカみたいに愛だけでは生きられない。
 果たすべき責務がある。
 その中で、クレズニは全力を尽くしてサレトナを守ってくれていた。
 だから、いまなら言える。
「ありがとう。兄さん。私はいま愛されて生きているの」
 クレズニと故郷を出なければ、いまの仲間とも、カクヤとも出会えなかった。そうしたらサレトナはまだ世界に対して背を向けて、神をみつめられなかった少女でしかいられなかっただろう。
 過程はどうであれ、いまという結果に感謝していた。
 クレズニは味わうようにサレトナの言葉に耳を傾け、苦笑した。
「強くなったんだな」
「ええ」
 胸を張って答えながらサレトナは食べかけの食事に手をつける。クレズニはその様子を微笑んで見守っている。
 いまは、二人がただの兄弟へともどれたかけがえのない瞬間だ。
 だからサレトナは思い出せない。今日の朝に見た夢の残滓を、そのまま流してしまった。 ロストウェルスの神はついてこない。
 だけれど、神は見ている。


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