クリスマスマーケットにて祝福を

 新婚夫婦の旦那である貴海は、嫁のファレンの部屋をノックして許可をもらうと盛大に扉を開けた。
「休日警察だ。ファレン。君を外に連行しにきた」
 ラグが敷いてある床にクッションと一緒に座っていたファレンは、不敵な笑みをうかべながらゆっくりと立ち上がる。
「この俺をそう簡単に連れて行けるなど考えるとは片腹痛いな。さて、どこに連行すると?」
 手にしている一枚の紙の効果は抜群だと貴海は確信していた。さっと、ポストカードをファレンに向ける。軽快なフォントとデザインの内容はとあるイベントについて。緑を地にしながら赤い字で書かれているポストカードの内容を理解したファレンのきんいろの目が見開かれていく。
「ようこそ、くりすますまーけっとへ……」
 手にしているポストカードは貴海が以前、仕事で知り合い、さらに友人になった男性からもらった招待状だ。とはいってもサービス料金で入場できるのとドリンクが店で一杯無料になるくらいの優待しかないが、祭とはそういったものだろう。
 参加しても良いと誘われることが重要だ。
「さてファレン。行くか、行かないか」
「行く! 少し待ってくれ、いまから着替えと化粧をするから!」
 白いタンスから服を選びつつ、クローゼットも開けながら慌ただしくファレンは出かける準備を始めた。この催しを気に入ってくれたのだと嬉しくなりながらファレンの部屋の扉を閉める。自分も準備をせねばと隣の部屋に入り、鞄の中身を確かめた。財布とハンカチーフとカードケースと先ほどのポストカード。小さな鞄に全て収まった。あとはコートに腕を通す。
 隣のファレンはどうしているだろう。ファンデーションはすでにしていたようだから、あと十五分くらい支度するといったところか。
 最近はお互いに仕事で忙しくて食事の時間を合わせることもできずにいた。貴海は一人でテーブルに着きながら、ファレンは物語だから食事をとる必要はないが、心で寂しがっているのではと考えずにいられなかった。
 そうして今日出かけるきっかけとして思いついたのがクリスマスマーケットだ。
 楽しい一日になりますように。
 貴海は願わずにいられなかった。

 クリスマスマーケット。
 コの字型を描くように店が配置されていて、右上の突き当たりには大きなクリスマスツリーがそびえ立っているのが、星だけ見えてわかる。入り口は左下のアーチからだ。
 貴海の隣で初めて見る光景にぱちくりしているファレンの手を引っ張る。まだ朝の範囲ではあるがすでに来客は多い。ここで立ち尽くすわけにはいかないのだ。
 入場口の列に並んでいくと、係員によりてきぱきと手続きをされる。招待状を差し出すとドリンクの無料チケットと、入り口から少し離れた場所にある仮装広場を勧められた。
「お姉さんもすごく似合うと思いますよ」
「照れるなあ」
 そんなやりとりなどしつつ、まずは仮装広場に向かった。小さな子が多いかと思いきや、意外にも大人のカップルも結構いた。アイテムは一セット五百くらいの値段で、貴海は札を出して袋を二つうけとった。ファレンに渡した袋には女性用と四十一という番号が貼りつけられている。回収のときに番号が揃っているのかチェックするのだろう。そうして互いに袋に入っていたものを頭にかぶり、見つめ合った。
「「かわいい!」」
 互いを指さして異口同音に言葉を発してしまい、周囲からくすくすと嫌ではない調子で笑われた。
 ファレンは薄紅色の髪に良く合う、白い角と先端に赤い鈴が点いているカチューシャをしていた。コートも白いので真っ白な異種のトナカイになっている。
 貴海は黒いサンタ帽子に元から巻いていた黒いマフラーという組み合わせになった。繊細な外見が加点されて、華やかな雰囲気のなかで一際目立つ黒いサンタになっている。
「白と黒が揃うなんて、俺たち相性いいんだろうなあ」
「今更だろう」
「そうだな! 早く見て回ろう」
 手をつなぎ、指を絡ませて仮装広場から飛び出した。
 食事のゾーンでは当たり前だが、ファレンが貴海の腹の空き具合を気にした。伺う視線に「そんなに空いていない」と横に首を振る。朝食は食べているのと、見るからにこってりとした肉やチーズや揚げ物を一人でたいらげるのは胃が強くない身にはきつい。
 それでも炒められてじゅうじゅう鳴る油や、スパイスの薫りは気分を高揚させる。クリスマスツリーに行くまでには巨大なウインナーや、とろけたチーズが豪快にかけられたポテトなどの誘惑が待ち受けていた。熱気による湯気としょっぱい薫りが漂っている。遠くからだが、食品を扱う店も木製の大きな荷車に似せたもの、金や緑のモールやハンドクラフトしただろうサンタを貼りつけているところなど、様々な工夫がそれぞれされていた。
「おいしいっていいんだな」
 手をつないでいるファレンが感慨深く言う。かわいいと貴海の胸がきゅんとする。
 通路を歩けばパイプ椅子や折りたたみテーブルに座って、向かい合いながらポテトをつまむ男女。ウインナーにかぶりついて口を火傷しそうになっている子供たち、付属のケチャップが垂れそうになって慌てる両親。
 それらは食事ができないファレンには伝わりきらない温もりある光景だ。けれど隣を歩くファレンはうらやむのではなく、純粋に大切な人と食事を味わえる幸福を穏やかに眺めていた。
 だから慰めるとか、否定の言葉は出てこなかった。
 代わりに出たのは同意だ。
「うん。いいことだ。ファレンも食べることはできないけれど、俺のために美味しい料理を作ってくれるだろう。それがすごく嬉しいというのは、いま君が感じている、こういうことなんだよ」
「嬉しくなるようにできているか……?」
 ぽん、とトナカイの角を避けて頭に手を置く。それだけで思いが伝わってくれたのか、ファレンは手をつなぐどころか腕を絡ませてきた。
 貴海も微笑んで寄り添いあう。
 そうして食事のゾーンを抜けると、クリスマスツリーが青空を背に立っていた。
 見上げてようやく先端の星が見られるほど巨大な緑のモミの木に、赤いプレゼントボックスや茶色のジンジャーマン、サンタまでが吊られている。
 しばし貴海とファレンも見上げて、その出来に感心していたが、人が集まってくるので退散した。クリスマスツリーは自分たちよりも小さな子たちが見上げて歓声を上げるべきだ。
 出口に近いコースには民族工芸やクリスマスアイテムを売っている店が並んでいる。少し不気味なサンタやトナカイの人形は、足を止めて眺めると自然と微笑ませてくれる。手に取ることはしないけれど、たまに距離を縮めたりしながら通り過ぎた。
 そこから先に進んで足を止めたのはキャンドルハウスだった。乾いているだろうが塗料により光を受けるとてらりと赤色や青色に光る鮮烈な色の屋根、もしくは童話に出てきそうな古めかしい家たちがずらりと並んでいる。
「欲しいものはあるか?」
「うーん。キャンドル使わないからなあ。でも、これ」
 細長い指でさされたのは風見鶏らしきものまでついている、青緑色の屋根にクリーム色の壁の家だった。値段を見る。入場料の十倍だ。
 買えるが、財布を差し出す前にファレンが貴海の手を押さえてきた。
 客が客になるか、通りすがりになるか値踏みしている店主に頭を下げて、ファレンは先に店を出た。そのまますいすいと歩いていく。
 混雑し始めたクリスマスマーケットは勢い盛んで、その中にファレンが消えていかないように、人を避けながら白色のコートをつかむ。白いトナカイの耳もいまの人混みになるともう目立たなくなっていたので、貴海はとても焦った。
 雪が溶けるみたいに消えてしまったらとても怖いんだ。
 コートをつかんだまま、つかまれたまま、立ち尽くす。雑踏はいぶかしげな視線も送ってきたがたいていは無関心に通り過ぎていった。
 貴海は何を言えばいいのかわからない。ファレンが微笑んでいるからこそ、わからない。先ほどの店で気分を害したなどではないだろう。理不尽な気まぐれでもないだろう。ファレンはそういった行動をとらない。
 黙り込んだまま動けないでいたが、ばん、と強く背中が叩かれる。振り向くと今回のクリスマスマーケットに誘ってくれた友人がいた。
 赤い髪に緑の瞳の「自分もクリスマスみたいなんだ」とのたまう、ラクゴウだ。
「よ! ちゃんときてくれたんだな、ありがと! んでどうして道中ロマンチックやってんだ?」
「あ、いや。彼女は俺の嫁なんだけれど、消えそうになって……」
 ラクゴウは大きな声で笑いだした。「消えそうになったってどんなトレンディドラマだよ!」と言ってくれた。
 その言葉だけで一気に周囲の喧噪を取り戻してくれた。
 ファレンがいる、ということを改めて確認出来たことに一番安堵した。

ラクゴウに左腕をつかまれ、右手でファレンの手をつかみながら飲食のコースへ戻ってきた。クリスマスツリー付近の人の波はさらに勢いを増していて、逆らえば逆らうほど、波に飲み込まれたあげくいまつないでいる手が引き裂かれてしまいそうだ。大人しくラクゴウの先導にしたがって、偶然空いたテーブルにしがみついた。
「ファレン、大丈夫か?」
人慣れしていない子兎のようだというのに、ファレンは乱れた薄紅の髪が顔にかかるのをよけながら、健気に笑った。波に呑まれる前に外したトナカイの角も幸いなことに折れていない。
貴海は長く息を吐いた。
「しっかし彼女が噂の君のハニ-か!」
「うわさ?」
「ああ! 毎日貴海くんにおいしい弁当作って、手帳にも写真を挟ませるほどめろめろにさせている嫁さんがいるとは聞いていたが。そっか」
最後のトーンの落ち方に深い意味が込められていたが、貴海もファレンもその憂鬱には気付かなかった。
ラクゴウから見た貴海とファレンは、外見だけでも十分に似合いの二人であるし、揃いであるのが当然といった落ち着きをもっている。だからこそ貴海の友人として、ファレンがどういった存在であるのかが読めなかった。貴海は愛しい嫁というカテゴライズで終わっているため疑問を持たないだろうが、平凡な人間の初見だと、ファレンという目の前の女性は。
恐ろしい。
外見の美しさだけではない品の良さも見受けられる。
そして、心底に人ではありえない純白さをたたえている。潜った泉の底は透明な砂が広がっていた、というような印象をラクゴウは抱き、恐怖した。
貴海との関係が恋人だったら、お節介な友人として「彼女とは別れたほうがいいだろう」と助言するほどだ。大抵の人では手に負えない。ファレンは不可視のばけものだ。
そのあいだも貴海はファレンの髪の乱れた部分を手ぐしで整え、けがをしていないか声をかけ、背中を支えていた。惚れ込んでいるのだと言葉よりも雄弁に示している。
貴海の対応に追われていたファレンだが、ラクゴウの視線に気付くと目を合わせてにこりと微笑んだ。気まずくなってラクゴウは貴海に話を振る。
「あー……なんか飲み物だけでも買ってくるか。貴海、俺はグリューワイン」
「わかった。せっかくのチケットだ。使わせてもらおう」
かたりと立ち上がる。貴海は席を離れる前に、隣に座っていたファレンの髪をよける。無言のまま額がつきそうなくらいに距離を縮めて、紫氷の瞳を瞬かせてから店の列に並び始めた。
ラクゴウとファレンは二人きりになる。
ファレンの交友関係はあまり広くなく、ラクゴウとも初対面だ。会話の種になりそうなことも貴海くらいしかない。
比べてラクゴウは社会人として人と接する経験を積んでいるが、ファレンという異分子と向き合うのは初めてだ。
そのため最初は互いに微笑んだままだった。場を弾ませられる一言が見つからない。だがラクゴウが努力して言葉を選び始めたところで、ファレンは氷が海に流される滑らかさでさらりと言う。
「貴海はいい男だろう」
「いい奴だよ。ちょっと荷物背負いたがりなところあるけどな」
「ではないと俺を嫁にするまではいかないさ。ああ、俺の口調は女性という身体にそぐわないが、気にしないでもらいたい。変われないんだ」
幼い頃の真似などではなく、自然と貴海が浸透してしまった結果の口調だということをラクゴウは知らないまま、ファレンの要求を受けとめることにした。
それよりも気になるのはファレンも自分を貴海の、とりわけ重い荷物だと考えているような発言だ。ラクゴウは、ファレンは控えめだが意思の強い女性だと貴海から聞いていたが、実際に会うと違う印象を受けた。いまもその違和感はある。
強い女性が持つ我の強さが皆無だと、ふと気付いた。ラクゴウの身の回りの女性はたおやかであるが主張をうまく通すことに長けていたり、それこそ強烈な性格と押しの強さを兼ね備えている者が多い。
ファレンは親しみと快活さは感じられるのだが主体的な願いや、外聞の悪い言い方をすると欲といったものが感じられないのだ。もし貴海がファレンの意思を外から整えてしまった結果だとしたら、それは歪な関係だ。
踏み込むか、踏み込まないか。踏み込む必要はないのだが、貴海という男を知る上でファレンへの接し方は素通りできない。
考え込んでいるとファレンは並んでいる貴海に手を振っていた。
「貴海のこと、好きなのか?」
「大好きだ!」
そういって笑うファレンは見ているだけでこちらもつられるような、輝きを放っていた。眩しさに呆然としていると、テーブルの上に肘を置きながら言う。
「あなたは貴海の友人でいてくれるから。俺という存在が不安になるのは、よくわかる」
「い、いや。そんな首を突っ込む真似は」
「かまわないよ。もう言われ慣れている。貴海のことを思うのならば、離れるべきだ。別れるべきだ。貴海の友人から、周囲から、俺は好かれなかったから」
ラクゴウが考えていたことは、すでに既知のことであったらしい。自分もその「周囲」と同じ見方をしていることに強い恥ずかしさを覚えながらだが、聞いてしまう。
「どうしてそんなに嫌われるんだ」
「その人たちが俺を嫌うのは……義務を果たしていないからだろう。愛されてばかりで、愛してばかりで、だけど実益は生まない。いつだって働いて傷ついたりするのは貴海だけで、俺は用意された家でやれることをするだけだ。それが、貴海のことを好きな存在にとっては許せないことなんだ」
「だけど。貴海を諦めないのか?」
「うん。諦めたくない。さっきあなたも言っただろう。貴海は荷物をせおいがちだから。だから、俺は貴海が荷物を下ろせる場所でいたい。分かち合うことはさせてくれないから、せめて居場所に、なりたくてなあ」
喧噪が遠い。自分たちの声も子供たちの歓声や甘い囁きに埋もれて届かないだろう。
だけどラクゴウにはファレンの言葉が届いたから、見守ることしか、傍にいることしかできない無力に立ち向かう強さを聞いたから、もういいやという気分になった。
ファレンは貴海と共に戦う存在にはなれない。
だけど傍にいてくれる以上に貴海がファレンにいてもらいたいと望んでいる場所も、役割もないんだ。
「健気だね」
「ありがとう。結果も残せると嬉しい」
くすくすと笑い合うと、貴海が戻ってきた。使い捨てだが柄の入っている紙コップを持ってきた。
「はい。グリューワインはこちら。で、何の話をしていたんだ?」
貴海はファレンの隣に寄り添って尋ねてくる。
「秘密だ秘密。ってそんな怖い顔でにらんでくるなよ。彼女が健気だってことが十分にわかっただけだから」
「ならいいが」
カップに口をつけて熱い息を吐く。ファレンは何も口をつけずに酒をたしなむ男二人をにこにこと眺めていた。
「俺たちだけでいいの?」
「ああ。ファレンは飲食できないから」
「うん。二人が食事をするのをみていたい。おにくやポテトなどを買ってきてもいいんだぞ?」
さらりと言われたことの重さにラクゴウは言葉をなくすのだが、目の前にいる二人は何も変わらずに熱を分け合っていた。飲むことはできないが、貴海のエッグノックの甘いがピリッともする匂いに笑い、カップ越しの熱さに触れる。
親密に触れあう光景はそれだけで、目が潤むような痛みをもたらしていた。
「ああ、ラクゴウ」
「ん!?」
急に呼ばれて慌てて反応する。貴海は、恥ずかしげに笑いながら、言ってくれた。
「今日はクリスマスマーケットに誘ってくれてありがとう。ファレンも楽しんでくれていて。俺も……感謝している」
「あ、ああ。そんなこと気にするなよ。友達、だろ? 彼女もお前の嫁さんなんだから」
「うん。ファレンは大切な、俺の愛しい人なんだ」
ラクゴウは目が熱くなるのを感じてしまう。
貴海はプライベートをそんなに明かす友人ではないし、付き合いも良くないし、それこそ嫁であるファレンを優先させがちだ。それらもあって周囲の「貴海の嫁」であり「ファレン」の存在はかんばしくない。ラクゴウだって正直そう思っていた。
だけど、今日初めてファレンに会って思い知らされるのは自分の浅はかさだ。ファレンは自分が認められていないのを知っていて、それでも貴海の安息の場所であるように正しく努めている。
貴海に愛されている信仰を揺るがさない。
ラクゴウは頬杖をつきながら貴海とファレンを眺めた。戯れるように手を伸ばし、至高の幸福だというように笑いあう。
これからも二人に、幸あれ。

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