まもるひと

 風に揺らされるのは青色の髪、青い空を映すのは赤い瞳。
 赤くなっている頬は冷たい風にさらされていて、手袋とマフラーは装備しておいてよかったと、カクヤは白い息を吐く。
 今日は聖夜だ。聖なる存在が誕生したことを祝う日とされるが、カクヤの生まれ育った土地には無かった習慣だ。そのため仲間である聖職者のタトエから五十回くらい聖夜について言い聞かされた。その後にタトエに恋をしているソレシカから「最近の流行としては好きな相手をデートに誘う方便だぞ」と教えられた。
 自分がそんなことをしたい相手は一人だけだ。
 だから、カクヤは待っている。行き慣れないレストランに予約を入れたことだけを告げて、仲間である少女が来るのを待っている。
 来なくてもよい。温かな場所にいてくれるのならば、それだけでいい。窓の外から幸せそうに笑う少女を眺めるだけでカクヤは満足できる。だけど自分が彼女を幸せにすることが許されるのならば、幸せにしたい。何を犠牲にしても。
 彼女は、サレトナはカクヤにとってそれほど大切な存在だ。この感情がいつから生まれたのかは不明だが、守りたくて傍にいてもらいたくて。同事にそっと自分だけの箱の中にしまっておきたいのも事実だ。
 てとてととつたない足音がする。振り向く前にどん、と軽い衝撃が来た。下を見ると橙色の髪の幼女がいて。その顔立ちには見覚えがあって。
「サレトナ……?」
「サレトナ!」
 同じ名前が違う声として発せられた。幼女が走ってきた方向からは青灰の髪を風に乱されながら、仲間であるクレズニが走ってくる。
「兄さん?」
 舌っ足らずなサレトナらしき幼女の声に複雑な心境になる。普段のサレトナは兄であるクレズニと犬猿の仲だ。しかし、いまその素振りは無い。素直に懐いている。
 小さなサレトナと視線が合うところまでかがみながら話をするクレズニに、置いてけぼりのカクヤは質問をする。
「あのさ。これ、どういうこと?」
「サレトナが小さくなりました」
「あっそう」
 簡潔な説明だった。何でもどうしてもない。カクヤは自分の背中に隠れているサレトナを持ち上げて、そのまま抱き上げる。これでも筋力はあるので苦労をしないで持ち上げることができた。
 それにしても。こんなことがあるとは思っていなかった。いつかサレトナと自分の子を抱き上げることはあっても、まさかサレトナ自身を持ち上げるとは。
「少しは動揺して下さい」
 呆れ顔のクレズニに言い返したのはカクヤではなかった。
「兄さん。おこるのは、だめ」
「そうだよな。せっかくの聖夜なら笑顔でいたいよな。で、俺のことはわかるか?」
 じっと、杏色の瞳にのぞき込まれる。普段よりも純粋な光に見つめられているとこちらの不純が焦げていきそうだ。
 こてん、と首をかしげて言われる。
「……やさしい人?」
「それはどうかな。だけど、サレトナを守る人ではあるんだよ」
 カクヤはサレトナを抱き上げたまま歩きだす。いまだ止めようとするクレズニには微笑だけ残すと、溜息が返された。もう止められないと理解しているようだ。
 カクヤが約束したのはサレトナだ。
 姿がどうであろうと、来てくれたのならば今日という日を一緒に過ごす。
 決めた。

 カクヤは予約を入れたレストランにサレトナを抱き上げたまま向かっていく。
 扉をくぐり、来訪を知らせる鐘を鳴らした。出迎えに来た無口な店主は大人二人分の予約のうちの一人が子供になっていても、特に理由は聞かずに注文を取って厨房へと下がっていった。
 ありがたい。それともよくあることなのか。
 カクヤは追求せずに、普段よりも着込んでいるサレトナを見やる。兎の耳の飾りが付いた黒いコートはレクィエあたりが見繕ったのだろうか。
 可愛いな。
 カクヤの頬が緩む。瞳は細められる。
 普段よりも頬を赤くしながら、誰からも褒められる「いい子」でいようとがんばっているサレトナはとても可愛らしい。これほど可愛い子に何があって「わるい子」になりたがるようになったのかをカクヤは知らないが、いまのサレトナに聞いても答えは返ってこない。
 ただ、微笑みかける。唯一の兄を求めていることに少しだけ嫉妬しながら。
 一言も発しないあいだにクリームとポテトのスープが運ばれてきた。
 縁に赤い模様が描かれている皿に盛られているとろとろのスープに目を丸くしながら、それでもサレトナは忘れない。
「今日のしょくじにかんしゃします」
「今日の食事に感謝します」
 サレトナのあとに食前の言葉を続けて、カクヤはスープに口をつけた。まろやかな味わいが広がり、ポテトのもったりとした重さが舌から溶けていく。店主が沢山のクッションを置いてくれたおかげでサレトナも苦労せずにスープへスプーンをつけることができた。
 躾けられた美しい動きで食事をする。それはいくつになっても変わらない。
「サレトナはいい子なんだな」
「うん! わたしはいいこなの」
 カクヤが認めると一気にサレトナの顔が明るくなる。それから、言葉が続けられた。
「わたしがいいこじゃないと、兄さんがしかられるもの。あのね、トリアッテのことは知っている? かれはいつも、兄さんをいじめるの。でも兄さんはそれをあたりまえだって……」
 今日は聖夜だ。楽を味わいたい日だ。
 しかし、望まないところでまたクレズニとサレトナの闇が暴かれる。曖昧な笑みを浮かべながら話を聞いていると、給仕の青年が皿を滑らせて甲高い音が鳴った。
 びくり。震えて、サレトナの口が閉ざされる。周囲を見渡す表情は怯えに満ちていた。告げ口をする悪い子供を連れていく、怪物がいるのだと信じている瞳だ。
 その瞳が痛々しかったので、手を伸ばしていつもよりさらに小さな手を包み込んだ。蝋燭の光のように頼りない熱さだが、守らなければいけない。決意させるには十分な熱だ。
「大丈夫だよ。クレズニはもう大人だ。サレトナが無理にいい子でいなくても、大丈夫なんだよ」
「でも」
 人目をはばからなくて良いのならば抱きしめていた。
 この少女が抱える、闇の深さと重さが全く量れない。少しでも打ち明けてくれれば知ることができるのに、いつも「わるい子」なんて嘘を纏って近づけさせない。それで距離を置こうとすると泣きたいのを我慢するように強がられるので、黙って隣で座り続けるしかできない。
 それでは嫌だというのに。
 サレトナを傷つける全てから、サレトナを守りたいのに。
 次に運ばれてきたのはサラダだった。緑の葉物が中心で、赤い野菜が中心に乗っているのを見て目を丸くされる。
 その後も、その後も食事は続く。店主は事情を承知しているのかサレトナの食事の量だけを減らしてくれていた。だからサレトナも残さず食べ終える。
「あなたのめぐみをいただきました」
「彼方の恵みをいただきました」
 混み始めた店内に居座ってはいられない。カクヤは早々に会計を済ませた。
 今度は、きちんとサレトナを誘いたい。
 そうしながらも、小さなサレトナを連れて街を巡る。露店を覗けば硝子の中に閉じ込められている雪が降る城に目を丸くして、茶色い獣が配る風船は怯えながら断っていた。間違えて甘い香りをさせる酒に近づいたときは、納得させて引き離すのに苦労した。
 途中で公園のベンチで休憩する。
「だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ。サレトナは?」
「だいじょうぶ! こんなにたのしいのは、はじめて」
 舌足らずに言って、笑う。酒の代わりに買った蜂蜜入りのホットミルクに口をつけて、小さな桃色の唇から白い息を吐いた。
 小さくてもサレトナはサレトナだ。
 困らせたくも悲しませたくもない。だから、話を聞くか迷う。そしていまはいいか、と結論を出してカクヤも熱い珈琲に口をつけながら、空を見上げた。
 聖夜はよい子の願いを叶えると言うが。
「サレトナは願いが叶うとしたら、何を願うんだ?」
「うーん。カクヤと、いっしょにいたい」
 それはただ、今日が楽しかっただけだろう。
 だというのに向けられた笑顔に普段のサレトナの、怒っているような照れているような、それでも健気に笑う表情が重なる。
 カクヤと一緒にいたい。
 その一言が胸を貫いた。
「そこはクレズニじゃないのかよ」
「兄さんもすきだけど、カクヤはもっとすきだもの」
 それをサレトナの口から聞けたら、自分は躊躇せずに「俺もだよ」と返せただろう。だけど、まだいまの自分にその資格はない。
 小さなサレトナは大きくなったサレトナではない。カクヤを知っているサレトナではない。今日という一日を楽しく過ごせたからといって、サレトナを引き受けてよい訳がない。
 カクヤはクレズニが背負ってきた、サレトナの重みを少しだけ知った気がした。この少女は生半可な覚悟で触れたら火傷する炎を抱えている。
 それを無謀なまま抱きしめられるほどの蛮勇はカクヤにはない。それよりも、サレトナを宥めたかった。炎の勢いを和らげたかった。
「サレトナ」
「なあに?」
 舌足らずな口調が愛らしくて、微笑んでしまう。
「願わなくても大丈夫だ。俺は、サレトナとずっと一緒にいるから。大丈夫なんだよ」
「ほんとう?」
 風が、吹く。
 雪が散り始める。頬に冷たい破片が当たることからだって、守りたかった。ただ幸せな籠の中で眠っている姿が見たかった。
 その願いを隠してカクヤは言う。
「本当だよ」
「うれしい」
 はにかんでいるあいだに、橙色の髪をかき分ける。きょとんとした顔を向けられたままカクヤはサレトナの額に口付けを送った。
 ぱん、と音がする。衝撃に目を閉ざした後に開けば、そこにはサレトナがいた。普段通りの碧色のコートに身を包んでいる。
「カクヤ……?」
「よお。おかえり」
「何があったの!?」
 勢い込んで聞いてくる。この調子だとサレトナに小さくなったきっかけの記憶も、小さくなっていたあいだの記憶もなさそうだ。
 徐々に前傾姿勢になっていくサレトナを宥めながら、カクヤは答える。
「俺にとっては当たり前の約束だけど、サレトナにはまだ言えないことだ」
 さらに言い募りたそうなサレトナの口の前に指を立てる。そうして黙らせてから、カクヤはサレトナの手をとった。
 繋ぐ。
 この一年のあいだ一緒にいて、それなのにまだまだサレトナのことを少ししか知らない。儚い体に燃えさかる炎にようやく気付くことができただけだ。
 これからは、その炎に手を伸ばしたい。
 サレトナと同じ時を緩やかに、ときに灼かれながら過ごしたい。
 細い指に指をからめながらカクヤは願っていた。

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