『冒険者と未亡人』(ion様作) リプレイ

[無音の楽団] – 沈黙の楽器亭

クレズニ
Level 10
Skill: 腑分け, 木の葉の刃, 聖なる陽射, 審判, 略式処刑, 純水洗浄, 球空の盾
Item : 智者の剣, 白薔薇法衣,

 閑静な住宅街の一角に、ばきりと不快な音が響く。
「がはっ!」
 一見してそれ、つまりは下の品性を備えているとわかる人相の悪い男は痛みと怒りに表情を歪ませた。
「クソッ……ヤロウが!」
 男の貧弱な語彙とは正反対の気品を感じさせる青年が歩み出てくる。冬の空の色をした瞳には何の感情も宿ってはいない。淡々と告げる。
「おわかり頂けましたか? この女性が誰の物かという事が」
 言いながらも青年の言葉にはかけらも愛情が宿ってはいなかった。ただの用心棒か、それとも商品に疵をつけられたくないがためだけの責任感で動いている。
 それを背後にいる女性も承知しているのか、ただ怒りをまき散らす男を青年の陰から見つめていた。
「………」
「次に会ったらぶっ殺してやる!」
「覚えておきましょう。沈黙の楽器亭に居ますから」
 青年の言葉により、男はさらに表情を苦々しいものにしたが何かに気付いたようにその殺気が薄らいだ。
「……その態度、腕前……まさか沈黙の楽器亭のクレズニ……? オレを追っ払えって依頼か。クソ」
 一連の流れが自己完結されたのか、男は唾を吐き捨てると立ち上がった。壁に手をつきながら、最後に女性を見て、飢えた犬の眼で口にする。
「この女からの報酬なんてゴミだろ。その気になりゃアンタならいくらでも仕官先があるってのに……」
「……行きなさい。もう二度とこの家には近付かないように」
 その言葉が、青年ことクレズニが与えられる唯一の慈悲だった。
 男は舌打ちすると、折れた足を引きずるように去って行った。
「……もう、いいですよ」
クレズニがそう声をかけると、後ろに隠れていた女性―――依頼人は、顔を出す。
彼女は家の周囲をおずおずと見回して、ようやく安心したように息を吐いた。
「あの……ありがとうございます。本当に、困っていたので……」
 潤んだ女性の眼差しに一つ頷きを返して、クレズニは男が去った方角を見つめる。
当然男の姿は無くそこには僅かばかりの風に枝を揺らす木々が立ち並んでいるだけだった。
「…………」
こちらを見る視線に気付いて女性――今回の依頼人を振り返る。「あ……」と小さく声を上げて所在無さげに俯いてしまった。
 急かさずに、続く言葉を待った。相手は依頼人なのだからこちらは誠意と義理を尽くさなくてはならない。
そして、幾ばくかの逡巡の後に依頼人はその小さな唇で言葉を紡いだ。
「……クレズニさん……有名な方だったのですね……」
「向こうはこちらを知っていたようですが……あれだけ痛めつけておけばもう来ないでしょう」
 言いながら、質問に直接答えはしないといった自分の処世術にクレズニは内心で呆れるのだ。カクヤだったら素直に「そうみたいだな」で済ませるだろう。レクィエだったら紳士的にごまかすだろう。そのどちらもクレズニは選ぶことができはしなかった。
 依頼人が驚く通り、名が知れ渡るほどの冒険者はそこまで多くは存在しない。盛る前に花を散らすか、もしくは綺麗に色あせて現役を退く人間が多いだろう。
高名だというのはある種名誉な事だが、今回はそれが仇となって、当初の予定から少し外れてしまった。
その事で依頼人を不安にさせたかと思ったが、繋がれた言葉は全く別のものだった。
「……その、どうして私の依頼を受けてくださったのですか?」
 まさかここで「自分たちは庶民派冒険者ですから」などとは言えない。
「仕官の話もあると……」
 まさかここで「自分たちの報酬は時価なので」とも言えない。
 どう話を切り上げるか、考えた。
「……ええ、そうですね」
 確かに、ある程度名を上げる冒険者になると官位を与えたいなど、そういう話も出てくる。
 事実、先日も某国の依頼の際に誘いがあった。
 今こうしている以上、答えは自ずと知れるのだが。
 ただ有名だからと言ってもいつも身分の高い人間の依頼や規模の大きな事件を扱っているわけではない。そもそもリーダーであるカクヤを筆頭に、お人よしが揃っている「無音の楽団」は区別なく、言い方をあえて悪くすれば矜持などなしに依頼を受ける。例外は盗賊行為や殺戮行為だが、それらを請け負わないのは全員に少なからずの善心があるからだとクレズニは信じている。
 今回の依頼については偶然と言ってしまえばそれまでだが、受けた経緯も特別不自然ではなかった筈だ。
 なのでクレズニは説明を始めた。
「……と、いうわけです」
 ありのままを伝えると何故か彼女は感嘆の息を洩らした。
 これで話は終わりかと思うが、依頼人はまた口を開く。
「あの……お支払いする額を上げる事はできませんが……」
 女性は先刻の逡巡よりも長い間躊躇った後、意を決したように視線を合わせた。
「……ゆ、夕食を食べて行かれませんか?」
「もし、よろしかったら……」とでも繋いだのだろうが、声がどんどんと小さくなってしまったのでよくわからなかった。
「………」
 クレズニの女難探知機が作動した。
 妹をはじめにいくつもの女難を経験しているのと、そういった星の下の生まれだと断言されているクレズニは、いわゆる女性の企図に勘が働く。
 断るべきだ。
 それで話は終わるはだ。
「そうですね……ご馳走になります」
 だが、クレズニは了承した。
 まるで、断られるかと決まっていたかのように肩を落としていた彼女はゆっくりと顔を上げる。何度も瞬きをしてから、口を柔らかく動かすと。
「頑張って、作りますね」
そう言って、微笑んだ。

 奥の厨房から、包丁とまな板が当たる際の音がリズミカルに聞こえてくる。目を閉じれば調理をする彼女の姿が容易に想像できるだろう。
 手際よく野菜を捌き、肉に下味を付け加熱中の鍋を確かめる。鼻歌混じりに。
 そこまで考えて、クレズニは不思議に気づいた。鼻歌。縁の薄い他人を招きながら、鼻歌を口ずさむものか。耳をすませる。
「ふーふふん。ふん」
「…………」
 どうやら、依頼人はだいぶご機嫌のようだ。
 出されたお茶は飲み終えてしまったが、料理ができるにはまだ少し時間があるだろう。クレズニは、観察を始めた。
 おそらく、ここは客間兼居間といった所か。
 次にテーブルを見る。しっかりした造りで、やや古いが、よく磨かれている。
 その上には役目を終えたティカップが1つ。ぽつんと置きざりにされていた。
ソファの背もたれに体重を預けて天井を見上げる。規則的な模様が並んだ、ごく普通の天井だ。当たり前だが、シャンデリアなど豪勢な照明は無い。代わりに染みもなく、綺麗なものだ。煙草を吸う人間の居る家ではこうはいかない。
 観察を終えた次に始められるのは、思考することだ。
 クレズニは顎に手を当てて頭を巡らす。
 この依頼に関する情報は事前に調べがついている。
 女性の名前はカルナミュラ。三十歳。夫は四年前に病死。子供は居ない。他に家族も居ない。孤児院の出だ。庶民的とはいえ、1人で生活するにはそれなりに苦労もあるだろう。
 だが、黒い話は無かった。至極真っ当に生きているようだ。
 思考の海に沈む傍らで、厨房からはまだ鼻歌が聞こえてきている。ややテンポアップしているのは気のせいにしておいた。
 次に考えるのは依頼人の夫。エルハドミュラ。享年は三十二歳。若くはあるが、早逝とも言えない年齢だ。
 薬草から薬剤を精製するという珍しい職業をしていた。専門職故か収入は一般人に比べて一ランク上。この手の職種は麻薬も製造していたりするがそういう話は見当たらなかった。 少なくとも大きな取引はしていなかったらしい。
 仕事熱心……盲進と言い換えてもいい性格で数日家を空ける事も珍しくなかったようだ。
 それほど仕事熱心だった男だが、四年前に肺の病で死亡している。その死に関して特に不審な点は見られなかった。
 男と言えば、今日の依頼で関係する輩も一人いる。近所に住む、いわゆる安い不良だ。
 小規模のチームに属している。
 裏は取れていないが、依頼人の話によると以前街で声をかけられたのがキッカケらしい。最初はただ挨拶をしてくるだけだったので彼女も普通に応対していたという。
 それがやがて立ち話になりお茶に誘われるようになり家にまで訪ねてくるようになった。
 流石に家には上げなかったようだが、勘違いした男が悪いと判断した。
 挨拶だけで声をかけてくる相手は自分に対して好意があるとのぼせ上がるほど、ひもじいとも言える。
 思考をいったん中断させるくらい胃を刺激するいい匂いが漂ってきた。
 だが、もう一度クレズニは思考の海に身を投げることにした。目を閉じて、呼吸を落ち着かせる。
 依頼人の境遇は、孤児だった。そしてカルナミュラを養育した孤児院は木の葉通りの外れにまだ残っていて当時の依頼人を知る院長に会う事ができた。
 簡単に事情を説明すると、院長は懐かしそうに顔を綻ばせながら話してくれた。
 大人しく、引っ込み思案で自分をうまく表現する事ができない。
 でもとても優しい子だ、と。
 優しい子、の部分を
 何度もくり返していたのが印象に残っている。
 優しい子。自己表現が苦手だからこそ相手を思いやれる。それもあるのだろう。だが院長が口にする優しさはクレズニにとっての優しさと同一のものではなかった。
クレズニが知っている優しさとは、責任を持てる行為を相手のことを考えて選択することだ。そして、それをしてきた少女を知っている。
 控えめな優しさに乗っかったが所属しているチーム『クラッカーズ』は、結成して一年にも満たない若者の集団らしい。
 窃盗、強盗、恐喝を行う程度の、取り立てて他のチームと何か違った所があるわけでもなく、どこそこの縄張りがどうとかどうでもいい背伸びに命をかけている。
 麻薬の密売もしているようだったので念の為依頼人の夫との関係を探った。
しかし、無駄足だった。
 今回の件は何か裏があるわけではなくあの男の独断と見て間違いないだろう。チームで居場所がなくなっているだろうが、そこまで気を遣ってやる必要もない。
「あ、あの……クレズニさんっちょっと、いいですかっ?」
「……?」
 厨房から呼ぶカルナミュラの声に従い、料理が出来上がりかけてきた、いい匂いのするそちらへと向かう。
 すると、そこではお玉を左手に持ったカルナミュラが懸命に右手を頭上の棚へと伸ばしていた。
 クレズニが入ってきた事に気付いていないのだろうか。
 頑張っているようだが、あと二十センチメートルは背丈が足りていなかった。
 おそらく身長が百六十センチメートルにも満たないカルナミュラを見ながら冷静に考えていると指を震わせて頑張っていたカルナミュラがついに諦めた。
 そしてこちらに気付き、やや頬を染めて恨めしそうな視線を投げてくる。
 カルナミュラが何かを言いかけるその前に、棚の上にある皿に手を伸ばすとクレズニは余裕で持ち上げた。
「これで合っていますか?」
 義理程度の微笑みを向ける。
「は、はい。……それと、あれもお願いしたいのですけど……」
 クレズニはもう一枚の皿を取った。
「他に、何か手伝える事はありますか?」
 カルナミュラは優しい、と例えられていたが、本当だろうかと後にまた考える。
 結局、そのまま盛り付けまで手伝うことになったからだ。クレズニの人が良かっただけかもしれないが、カルナミュラの動きには放っておけない危うさがあった。
 皿の上で胸を張るサラダや澄ましているスープたちを眺めながら、カルナミュラは頬を赤らめていた。
「すみません、ここまでしてもらってしまって……」
「いいえ、構いませんよ。それより……」
 食事を運んでいる途中扉が半分ほど開いていた部屋が目に留まる。日がほとんど落ちているとはいえ、暗い。
 その部屋は南向きであるにも関わらずカーテンではなく暗幕によって完全に光を遮断されていたのだ。
「そこは……亡き主人の部屋です」
 カルナミュラの話によると、調剤師だった夫が薬品を保管するために使っていた部屋だという。
 薬品の中には日光を嫌う物もあったのだろう。そのための暗幕による遮光だ。
 だというのに、どうしていまは扉が半分ほど開いていたのだろうか。
「本当に、仕事一筋の人でした……」
 クレズニの尖った視線には気付かないまま、カルナミュラは思い出を噛み締める女の体で言った。
「…………」
 沈黙を返答としながらも、先ほどから気にかかる点が多い。だが、それらはいまだ欠片でしかないため、突きつけても致命傷にはならない。それどころかクレズニが不審な立場に追いやられて、足をすくわれるだけだろう。
 だから、黙る。
 亡き主人の部屋に背を向けて、また食事を運ぶのを再開した。

 夕食が終わった。
 カルナミュラは片付けと食後のお茶のために席を外し、また1人ここで待っている。
「…………」
 あれだけあった皿も既に片付けられている。
 壁をよく見ると所々色が変わっている部分がある。その形から察するに元々いくつかの絵画が飾られていて日光を遮っていたのだろう。
 依頼人は夫を亡くして独り暮らし。手放さざるを得なかったのだろう。
 次に棚に目をやると、最初は並んでいるのはグラスに見えた。
 だがそれはガラスの瓶であったり、変わった形状の器具であったり、おおよそ、一般家庭にはそぐわない物だった。
 夫が生前仕事に使っていた物だろう。
 よく磨かれているのは、装飾として依頼人が気に入っているから。もしくは、夫との思い出を大事にしている。それらだったら、感動的で済んだ。
 だが、もしも、まだ彼女自身が使っているとしたら。
 邪推といえばただの考えすぎと一笑に付されるだけだ。けれど、クレズニの勘はまだここが安全地帯ではないことを告げていた。
 身寄りのない女性の、寂しい独居生活の場だというのに、不穏の匂いが生活に紛れるようにして漂っていた。
 時間を確かめる。
 少し、遅い。お茶を淹れにいったカルナミュラはまだ戻ってこない。
 準備の遅さが気になったのは、食事の後始末も並行しているのではという申し訳なさによるものか。何か、砂糖をこぼすなどして手間取ってしまっているのか。
 お茶を淹れにいく以外の、何かを、しているのか。
 そして、その何かがクレズニに害をもたらすことだとしたら。これまでの、不審の欠片は一枚の絵に変貌してしまう。
「…………」
 ふと気付くと、溜息をついている自分が居た。
 違和感に惹かれて家に入り、ここまで滞在してしまったが、すぐに帰れば厄介なことには巻き込まれずに済んだかもしれない。進んで女難に飛び込んだとしたら、愚者の行為だ。
 カルナミュラの道を正しても、糾しても、クレズニには得などないというのに。
「ごめんなさい。お待たせしてしまって」
「……いえ、大丈夫ですよ」
「コーヒーで良かったですか?」
「……ええ」
 お茶、ではなかった。
 コーヒーからは僅かに湯気が立ち昇っている。
 クレズニは手を伸ばす前に気付かれないくらいの間を置いて観察してから、カップを手に取って口元に運ぶ。
 淹れ立てのコーヒーの香りに僅かに紛れる枯れ草にも似た乾いた匂い。
 予想通りの現実が、そこにはあった。
 含まれているのはおそらくバレリアンだ。
 バレリアン。別名カノコ草。
 乾燥させた根は特有の強い匂いを放ちハルシオンと類似した効果をもたらす。
 つまり、睡眠薬だ。
 即効性があるわけではなく睡眠薬としての効果は軽い部類に入る。まして、コーヒーに紛れているとはいえ僅かに香る程度の量では効果の程もあやしい。
「…………」
 目を閉じ、これまでのカルナミュラの言動や部屋の様子を思い返してみた。
 その上で、仮説を立ててみる。
 睡眠薬の出所。
 カルナミュラ自身が、持っていたのだとしたら。
それが一番自然だ。所持の理由は不眠などいくらでも偽装できる。
 とはいえ、最初は中途半端に開いた扉を見てしまったため、亡き主人の部屋からくすねてきたのかという線も浮かんだ。だが、主人が亡くなったのは四年前だ。それよりも以前に精製された薬を使うのは、負ける確率が高くなりすぎる。だから、クレズニはカルナミュラ自身が所持していたと考えた。
 その睡眠薬を、いつからクレズニに盛る事を考えていたのだろう。互いに面識を得る以前からなのか、この依頼をする時か、それとも。
 クレズニの推量はついさっきから、だ。
あらかじめ計画していたにしてはあまりにも詰めが甘すぎる。そもそも、カルナミュラが夕食にと誘ってきたのは男を追い払った直後。
 もっと言うならば冒険者としてクレズニの名が売れていると知った直後だった。
 フーダニット、ハウダニットまで詰めたのなら、肝心な、カルナミュラの動機は何になるか。突発的な犯行ならば、金銭目的だろう。
 カルナミュラは現在独り暮らしで、身寄りも無い。壁に残った絵画の跡もそれを裏付けているといえるかもしれない。
 もしこのまま眠ったとすると考えられる行動は二つあった。
 一つ目は、身包みを剥ぐ。
 二つ目は、既成事実を作る。
 一つ目の可能性は低い。生かしておくと通報あるいは復讐されるという危険性を伴っている。なにせこちらは知名度のある冒険者だ。名前に傷がつくと今後の依頼に支障が出る。汚名は、雪がなくてはならない。だが、カルナミュラに殺す覚悟があるようには思えず、何よりも殺してまで金銭を奪い取りたいのならば毒薬を使えばいい。
 だから、二つ目の行動をとられたならばクレズニは目が覚めればベッドの上で、隣に彼女が寝ていることになるだろう。
 つまりは、そういう事だ。サレトナには絶対に聞かせたくのない、クレズニが疎んじる行為を女性は企んだのではないかと考えられる。
 コーヒーを一口飲んでコースターに戻す。口の中に、苦い味が広がった。想像と違わない後味の悪さに眉が自然と寄ってしまう。
「……ど、どうかしましたか?」
 思考は早めに切り上げたつもりだったが、やはり間が不自然に空いたのだろう。どこか心配そうな、あるいは怯えたような視線が向けられている。
 さて、どうするか。
 今回が初めてならばよい。クレズニの指摘に対して、魔がさしたと、カルナミュラが自身の行為を悔やんでくれるだろう。
 だが、もしも今回だけではなかったら。他の依頼人に同様の手口を仕掛けているとしたら、それを放置するのは遅効性の毒のように被害が広がっていく。
 依頼を受ける冒険者にも、やがてはカルナミュラにも相応の報いが訪れるはずだ。
「あの……?」
 心配そうに浮かべられた微笑みも、いまはどこかぎこちなく見える。
「………」
 睡眠薬のことを話し、その上で説得するというのは一番安い考えだ。
 クレズニはカルナミュラのカップを見る。
 少しだけでも注意を払えばすぐに気付く。彼女はまだ一口も飲んでいないという事実に。
 おそらく、彼女はカップにではなくコーヒーそのものに睡眠薬を投じたのだろう。
 詰めの甘いこの点から攻めて、軽くやり込めておくくらいが、コストも後の結果も、一番相場があっていた。
 もう一度コーヒーを飲み、落ち着かなさそうなカルナミュラに向き合う。
「いい香りですね。これはグアテマラ? それともマンデリンですか?」
「え? あ……ええと……マンデリンが七です。それとモカが二、ブルボンが一」
「ブレンドですか。よほどお好きなようで」
 柔らかく言えば緊張がほどけたのか、カルナミュラも恥じらいながら話していく。
「主人が、好きだったもので……贅沢品だとはわかっているのですが。つい、止められなくて……」
何をやめられないのかは問わずに、頷く。そしてさも今気付いたような表情を作った。
「どうしました? 飲まないのですか?」
「……え?」
「好きなのでしょう? どうぞ、遠慮はいりません」
 いまだ口のつけられていない、徐々に湯気が冷めていくだけの白いカップを手で示す。中でたたえられている暗褐色は沈黙していた。
 それでもカルナミュラは戸惑いのまま、手を膝の上に置いている。服に皺ができる。言い訳を探すように口が動き、今回のつまらない結果が雄弁に語られた。
「あ……その……」
「猫舌ですか? でしたらミルクを入れてみては?」
 言葉を切り。切ったナイフで、とどめを刺す。
「きっとよく眠れますよ」
 カルナミュラの肩が、ナイフを押し当てられたかのようにびくっと震えた。
 さらに、そのナイフをねじ込んでいく。
「そう。先程のブレンド比率ですけど、大切な物を忘れていますね」
「………?」
やや青ざめた顔がこちらに向けられる。カルナミュラの表情とは反対に、クレズニは優雅な笑みを浮かべて、一本ずつ指を折っていった。
「マンデリン、モカ、ブルボン。そして……バレリアン」
「っ!」
 カルナミュラの瞳が見開かれ、表情が凍りつく。口に手を当てて、震えるさまは言い当てられたことの恐怖か、暗に示されたことに対することへの恐怖か。
 これ以上関わってもろくなことにはならない。クレズニは固まったままの彼女を残し、席を立った。
 玄関に向かうために部屋を出る前に、時計の針がうるさく感じられるほどゆっくりと振り向く。
 柔和な笑みを変わらず浮かべてクレズニは忠告した。
「餌にする相手はよく選びましょうね。……ご馳走様でした」
 優しさだけの声を残して背中を向ける。外した視線が再び合わさる事はなかった。

 二日後、宿に報酬として三百枚の銀貨と手紙が届いた。
 手紙には、執拗なくらい丁寧な文面で詫びの言葉が連ねられていた。
 カルナミュラはどんな気持ちでこの手紙を書いたのだろうか。申し訳なさ、それとも腹立たしさか、まだ良心があるのならば悪事に手を染めなかったことに対する安堵か。
 分からないし、知りたくもなかった。
「………」
 手紙をしまった。カウンターに座ったままでいるクレズニに、宿の親父は皿を洗う手を止めて声をかける。
「どうした? 考え事か?」
「……何でもありません」
「そうか。なら何か飲むか?」
「ええ、そうですね……」
 せっかくの宿の親父の気遣いだ。無駄にすることはないと、クレズニはコーヒー以外を頼んだ。
「わかった。すぐ用意するから待ってろ」
「ええ、よろしくお願いします」
 ふと、壁に並ぶ貼り紙達を見やると、僅かばかりの風がそれらをはためかせていた。

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